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1175.
四条金吾御書 (しじょうきんご ごしょ) 背景と大意.

 
 
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けんじ 4ねん (1278ねん) 1がつ 25にち、にちれんだいしょうにん 57さいの おんとき、しじょうきんごに あたえられた ごしょ。
しゅくん からの かんきが とけて、しゅっしの ともを しているとの ほうを うけて、これこそ しょてんの かごで あり、みょうほうの くりきで あると のべられている。
つぎに えんきょうぼうから、きんごの おともの すがたが きわだって りっぱで、かまくらじゅうの うわさに なっているとの ほうこくが あったことを よろこばれると ともに、こんご、あんさつ などに ちゅうい するよう しどう されている。 
さいごに、きょうとや かまくらの ごしょの しょうしつは、しんごんの あくほうと ほけきょうひぼうに きいんしており、このことは しょうほうるふの ずいそうで あると むすばれている。



b
建治4年(11278年)1月25日、日蓮大聖人 57歳の御時、四条金吾に与えられた御書。
主君からの勘気が解けて、出仕の供をしているとの報を受けて、これこそ諸天の加護であり、妙法の攻力であると述べられている。
次に円教房から、金吾のお供の姿が際立って立派で、鎌倉中の噂になっているとの報告があったことを喜ばれるとともに、今後、暗殺などに注意するよう指導されている。
最後に、京都や鎌倉の御所の焼失は、真言の悪法と法華経誹謗に起因しており、このことは正法流布の瑞相であると結ばれている。

 
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