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1185.
四条金吾殿御返事、別名、石虎将軍御書(せっこしょうぐんごしょ) 背景と大意

 
 
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ぶんえい がんねん (1278ねん) 10がつ 22にち、にちれんだいしょうにん 57さいの おんとき、しじょうきんごに あたえられた ごしょ。
ぜんねんの くれから だいしょうにんの かんびょうを して きたくした きんごの ほうこくと くように たいする ごへんじ。
せっこしょうぐん(ぜんかんじだいのしょうぐん・りこうしょう)の こじをひき、いっそうの こころの まもりを かためて しんじんに はげむように げきれい されている。

しきによると、がんせきを とらと みあやまって やを いたところ、やは やじりまで ささった。いわで あると しって、あらためて その いわを いたが、ふたたび やが ささることはなかった。このできごとから、りこうしょうは せっこしょうぐんと よばれる ようになった。
いちねんを こめれば ふかのうも かのうになる たとえとして もちいられる。

いかに、ほんしょうの とくちょうてきな ごもんをしめす。

「じょうごうの ものは くすり へんじて どくとなる ほけきょうは どく へんじて くすりとなると みえて そうろう」
「かみの まもると もうすも ひとの こころ つよきに よると みえてそうろう ほけきょうは よき つるぎ なれども つかうひとに よりて ものをきり そうろうか」
「ごしんじん ごうじょうなれば だいなんも かねて きえ そうろうか」



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弘安元年(1278年)10月22日、日蓮大聖人 57歳の御時、四条金吾に与えられた御書。
前年の暮れから、大聖人の看病をして帰った金吾の報告とご供養に対する御返事。
石虎将軍(前漢時代の将軍・李広嘗(りこうしょう)の古事を引き、一層、心の守りを固めて信心に励むように激励されている。

史記によると、李広嘗は虎に母を殺され、復讐の念を常に抱いていた。
ある日、岩石を虎と見誤って矢を射たところ、矢はやじりまで刺さった。岩であると知って、改めてその岩を射たが再び矢が刺さることはなかった。
この出来事から、李広嘗は石虎将軍と呼ばれる。
一念を込めれば、不可能も可能になるとの譬えとして用いられている。

以下に、本抄の特徴的な御文を示す。

「定業の者は 薬変じて 毒となる 法華経は 毒変じて 薬となると 見えて候」
「神の護ると申すも 人の心 つよきによると みえて候、法華経は よき つるぎ なれども つかう人に よりて物をきり 候か」
「法華経の御信心 強盛なれば 大難も かねて 消え 候か」

 
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