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1187.
日眼女造立釈迦仏供養事 (にちげんにょ ぞうりゅうしゃかぶつ くようのこと) 背景と大意.

 
 
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こうあん 2ねん (1279ねん)2がつ ふつか、にちれんだいしょうにん 58さいの おんとき、しじょうきんごの つまの にちげんにょに あたえられた ごしょ。
にちげんにょが 37さいの やくどしに あたって しゃくそんの もくぞうを ぞうりゅうした ことに たいし、とうじの にほんじゅうの ひとびとが あみだぶつを ほんぞんと している なかで しゃくそんの ぞうを つくった ことを よろこばれ、にょにんは ほけきょう、まっぽうに おいては にちれんだいしょうにんの なんみょうほうれんげきょうに よって じょうぶつ することが できると とかれている。

<かいせつ>

ほんしょうでは にちげんにょが しゃかぞうを こんりゅう したことを たたえられて いますが、これは ばんにんが あみだぶつを すうはい するなか、しゃかぞう こんりゅうで ほけきょうに きえする しせいを しめした ことを ひょうか されたものです。
とうじ、ごんきょう (かりのおしえ)の あみだぞうでは なく、じっきょうで ある ほけきょう (しゃかぞう)が ただしいと いう じじつの るふが だいじで した。
しかしながら、まっぽうの しゅじょうが こんぽんとして おがむべき たいしょうは しゃかぞうでは なく、だいしょうにんの もじまんだらごほんぞん (ほうほんぞん) いがいに ありません。



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弘安2年(1279年)2月2日、日蓮大聖人58歳の御時、四条金吾の妻の日眼女に与えられた御書。
日眼女が37歳の厄年にあたって釈尊の木像を造立したことに対し、当事の日本中の人々が阿弥陀仏を本尊としているなかで釈尊の像を作ったことを喜ばれ、女人は法華経、末法においては日蓮大聖人の南無妙法蓮華経によって成仏することができると説かれている。

<解説>

本抄では日眼女が釈迦像を建立したことを称えられていますが、これは万人が阿弥陀仏を崇拝する中、釈迦像建立で法華経に帰依する姿勢を示したことを評価されたものです。
当時、権教(仮の教え)の阿弥陀像ではなく、実教である法華経(釈迦像)が正しいという事実の流布が大事でした。
しかしながら、末法の衆生が根本として拝むべき対象は釈迦像ではなく、大聖人の文字曼荼羅の御本尊(法本尊)以外ありません。

 
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