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1189.
聖人御難事(しょうにんごなんじ) 背景と大意

 
 
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こうあん 2ねん (1279ねん) 10がつ ついたち、にちれんだいしょうにん 58さいの おんとき、もんかに あたえられた ごしょ。
どうねん 9がつに あつはらの ほうなんが はっせいし、じんしろう、やごろう、やろくろうら 20めいの のうみん しんとが とらえられた。
だいしょうにんは このことを けいきとされ、こうあん2ねんの ごほんぞんを したためられた。
ほんしょうでは、さいしょに しゃか、てんだい、でんきょうの しゅっせの ほんかい までの ねんすうを あげ、だいしょうにんは 27ねんで あると している。
つぎに、ほけきょうに とかれている だいなんを うけたのは にちれんだいしょうにん おひとりで あるとし、ごじしんが まっぽうの ごほんぶつであるとの かくしんが しめされ、だいなんを おそれずに ししおうの ごとく ふるいたち、ごうじょうな しんじんに はげむよう げきれいされている。



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弘安2年(1279年)10月1日、日蓮大聖人 58歳の御時、門下一同に与えられた御書。
同年9月に熱原の法難が発生し、神四郎、弥五郎、弥六郎ら20名の農民信徒捕えられた。
大聖人は、このことを契機とされ、弘安2年の御本尊を認められた。
本抄では、最初に釈迦、天台、伝教の出世の本懐までの年数をあげ、大聖人は27年であるとしている。
次に、法華経に説かれた大難を受けたのは日蓮大聖人一人であるとし、御自身が末法の本仏であるとの確信が示され、大難を恐れずに師子王のごとく奮い立ち、強盛な信心に励むよう激励されている。


 
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