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1210.
寿量品得意抄 (じゅりょうほん とくいしょう) 背景と大意.

 
 
a
ぶんえい 8ねん (1271ねん) 4がつ 17にち、にちれんだいしょうにん 50さいの おんときの ごしょ。
ほんしょうは かいもくしょうと きわめて にかよった ひょうげんの かしょが あり、ごしんぴつが ないことから、かいもくしょうを うつし、しけんを くわえた こうだいの ひとの しょでは ないかと いう せつが ある。
しかし、かいもくしょうの したがきてきな もので あったとも かんがえられ、じじつ、かいもくしょうの ほうが ととのって いる。
いじょうの ことから、しんぎを けっすることは できない。
ほんしょうの ないようは、しょしゅうの がくしゃらが、 じゅりょうほんを しらず、すいちゅうの つきを ほんとうの つきと おもっている ような もので あるが、じゅりょうほんの かんじんで ある なんみょうほうれんげきょう こそ、まつぽうの いっさいしゅじょうの じょうぶつの しんぎで あると のべられている。



b
文永8年(1271年)4月17日、日蓮大聖人 50歳の御時の御書。
本抄は開目抄と極めて似通った表現の箇所があり、御真筆がないことから、開目抄を写し、私見を加えた後代の人の書ではないかという説がある。
しかし、開目抄の下書き的なものであったとも考えられ、事実、開目抄の方が表現が整っている。
以上のことから、真偽を決することはできない。
本抄の内容は、諸宗の学者等が寿量品を知らず、水中の月を本当の月と思っているようなものであるが、寿量品の肝心である南無妙法蓮華経こそ、末法の一切衆生の成仏の真義であると述べられている。

 
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