c
1213-2.
日妙聖人 御書(にちみょうしょうにん ごしょ) 背景と大意

 
 
a
ぶんえい9ねん(1272ねん)、にちれんだいしょうにん 51さいの おんとき、さど いちのさわから にちみょうしょうにんに あたえられた ごしょ。
にちみょうしょうにんは、かまくらざいじゅうの ふじんの しんとであった。にちみょうしょうにんは、むすめの おつごぜんをつれて、だいしょうにんを もとめて さどをおとずれ、その ふかいしんじんを たたえられ、にちみょうしょうにんの ほうごうを さずけられた。
ぎょうぼうぼんじ、しゃかぼさつ、せっせんどうし、やくおうぼさつなどの ししんぐほうの しゅぎょうと くどくをのべられ、さどを おとずれた あまのしんじんを ほめてにちみょうしょうにんの ほうごうを あたえられた。
そのにちみょうしょうにんを「にほんだいいちの ほけきょうのぎょうじゃの にょにん」とのべられている。


b
文永9年(1272年)、日蓮大聖人51歳の御時、佐渡一谷(いちのさわ)から日妙聖人に与えられた御書。日妙聖人は、鎌倉在住の婦人の信徒であった。
日妙聖人は、娘の乙御前を連れて、大聖人を求めて佐渡を訪れたことに対し、その深い信心を称えられ、日妙聖人の法号を授けられた。
楽法梵志、釈迦菩薩、雪山童子、薬王菩薩などの死身弘法の修行と功徳を述べられ、佐渡を訪れた尼の信心をほめて日妙聖人の法号を与えられた。
その日妙聖人を「日本第一の法華経の行者の女人」と述べられている。

 
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