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1218.
乙御前御消息 (おとごぜん ごしょうそく)
別名、身軽法重抄 (しんきょうほうじゅうしょう)
 背景と大意
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けんじ がんねん (1275ねん) 8がつ よっか、にちれんだいしょうにん 54さいの おんとき、みのぶから かまくらの おつごぜんの はは、にちみょうあまに さずけられた ごしょ。
べつめいを、しんきょうほうじゅうしょうと いう。
じょせいの みで かまくらから さどまで だいしょうにんを たずねた にちみょうあまの じゅんしんな しんじんを たたえられ、いっさいきょうと ほけきょう、しょきょうの じんしと ほけきょうの ぎょうじゃを ひかくされ、だいしょうにんこそ ほけきょうの ぎょうじゃであり、だいしょうにんに ゆみを ひく にほんじゅうの ひとびとは もうこの せめをうけ、くようする にちみょうしょうにんは ほとけに なると のべられている。

いかに、ほんしょうの とくちょうてきな ごもんを しめす。
「いくさには だいしょうぐんを たましいとす だいしょうぐん おくしぬれば つわもの おくびょう なり」
「かならず こころの かたきに よりて かみの まもり すなわち つよし」とう うんぬん」
「いよいよ ごうじょうの おんこころざし あるべし  こおりは みずより いでたれども みずよりも すさまじ  あおき ことは あい より いでたれども かさぬれば あい よりも いろ まさる」



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建治元年(1275年)8月4日、日蓮大聖人 54歳の御時、身延から鎌倉の乙御前の母、日妙尼に授けれれた御書。別名、身軽法重抄(しんきょうほうじゅうしょう)という。
女性の身で鎌倉から佐渡まで大聖人を訪ねた日妙尼の純真な信心をたたえられ、一切経と法華経、諸経の人師と法華経の行者を比較され、大聖人こそ法華経の行者であり、大聖人に弓を引く日本中の人々は蒙古の攻めを受け、供養する日妙聖人は仏になると述べられている。

以下に、本抄の特徴的な御文を示す。
「軍には 大将軍を 魂とす 大将軍 をくしぬれば 歩兵 臆病 なり」
「必ず 心の 固きに 仮りて 神の 守り 則ち 強し」
「いよいよ 強盛の 御志 あるべし  冰は 水より 出でたれども 水よりも すさまじ  
青き 事は 藍 より 出でたれども かさぬれば 藍 よりも 色 まさる.」


 
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