c
1229.
弥源太入道殿御消息 (やげんたにゅうどうどの ごしょうそく)
別名、建長寺道隆事 (けんちょうじどうりゅうの こと) 背景と大意.

 
 
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こうあん がんねん(1278ねん)8がつ 11にち、にちれんだいしょうにん 57さいの おんとき、ほうじょうやげんたに あたえられた ごしょ。
ぜんそうの けんちょうじどうりゅうの しに あたり、ほねが しゃりに なったと ちまたで いいふらされている ことに たいして はしゃく されている。
まず、いんどの げどの れいを あげ、しゃくそんが げどうを はしゃく したため、とうじの こくおう、だいじん、でしらが しゃくそんに あくしんを もった こと などが のべられ、その ときも げどうの ほねを かくして しゃりと なのった ことを しめされ、どうりゅうの ほねも まったく おなじで あると のべられている。
また どうりゅうが ぜんそうで あり、てんまげどうの おしえで ある ことから、かならず だじごくで あると のべられている。
さらに どうりゅうの にちじょうの ふるまいの だらしなさは せけんも しょうちしていた ことであり、それを しっている ひとたちも ばくふを おそれて くちに ださない、ないしんでは けいべつ しているであろうと みやぶられている。
さいごに、どうりゅうもんかの はかない まつろを のべられている。



b
弘安元年(1278年)8月11日、日蓮大聖人57歳の御時、北条弥源太に与えられた御書。
禅僧の建長寺道隆の死にあたり、骨が舎利になったと巷に言いふらされたことに対して破折されている。
まず、インドの外道の例を挙げ、釈尊が外道を破折したため、当時の国王、大臣、弟子らが釈尊に悪心を持ったことなどが述べられ、その時も外道の骨を隠して舎利と名乗ったことを示され、道隆の骨もまったく同じである。また道隆が禅僧であり、天魔外道の教えであることから、必ず堕地獄であると述べられている。
さらに道隆の日常の振る舞いのだらしなさは世間も承知していたことであり、それを知っている人たちも幕府を恐れて口に出さない、内心では軽蔑しているであろうと見破られている。
最後に、道隆門下のはかない末路を述べられている。

 
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