c
1252.
妙一尼御前御消息 (みょういちあまごぜん ごしょうそく) 背景と大意

 
 
a
けんじ がんねん (1275ねん) 5がつ、にちれんだいしょうにん 54さいの おんとき、みょういちあまごぜんに あたえられた ごしょ。
「ほけきょうを しんずる ひとは ふゆの ごとし ふゆは かならず はると なる」のごもんがしるされている。
みょういちあまの おっとは、だいしょうにんが さど るざいちゅうに なくなった。
あまは、おっと なき あとも ごうじょうな しんじんを つらぬき、くようを かかさなかった。
おっとが いまに いきていたら、だいしょうにんの さどるざいが しゃめんに なったことを どれだけ よろこばれたであろうかと しのばれ、さいごに、みのぶまで ごくようを とどけた みょういちあま ごぜんの しんじんを ほめられている。



b
建治元年(1275年)5月、日蓮大聖人 54歳の御時、妙一尼御前に与えられた御書。
「法華経を 信ずる 人は 冬の ごとし 冬は 必ず 春と なる」の御文が記されている。
妙一尼の夫は、大聖人が佐渡流罪中に亡くなった。
尼は夫亡き後も強盛な信心を貫き、供養を欠かさなかった。
夫が今に生きていたら、大聖人の佐渡流罪が赦免になったことをどれだけ悦ばれたであろうかと偲ばれれ、最後に、身延まで御供養を届けた妙一尼御前の信心を誉められている。

 
→a1252
→b1252
 ホームページトップ
inserted by FC2 system