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1304.
阿仏房御書(あぶつぼうごしょ) 背景と大意

 
 
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ぶんえい 9ねん(1272ねん) 3がつ 13にち、にちれんだいしょうにんが 51さいの おんとき、さどの あぶつぼうに あたえらえた ごしょ。
あぶつぼうは、つかはらさんまいどうで にちれんだいしょうにんに であい、ねんぶつを すてて、つまの せんにちあまと ともに だいしょうにんに きえしたと される。
ほんしょうでは、あぶつぼうが ごくようを したとき、ほうとうゆげんの いぎを ごしなんされたもので、ほうとうとは ごほんぞんの ことであり、なんみょうほうれんげきょうと となえるものは、その じしんが ほうとうであり、たほうにょらい(ほけきょうがしんじつであることをしょうめいしたほとけ)であると のべられている。
また、あぶつぼうを きたぐにのどうし、じょうぎょうぼさつ(じゆうのぼさつのじょうしゅ)の うまれかわりとまで のべられ、あぶつぼうの ふかい しんじんを たたえられている。



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文永9年(1272年)3月13日、日蓮大聖人が51歳の御時、佐渡の阿仏房に与えられた御書。
阿仏房は、塚原三昧堂で大聖人と出会い、念仏を捨てて、妻の千日尼とともに大聖人に帰依したとされる。
本抄では、阿仏房がご供養をしたとき、宝塔涌現の意義をご指南されたもので、宝塔とは御本尊のことであり、南無妙法蓮華経と唱える者は、その自身が宝塔であり、多宝如来(法華経が真実であることを証明した仏)であると述べられている。
また、阿仏房を北国の導師、浄行菩薩(地涌の菩薩の上首)の生まれかわりとまで述べられ、阿仏房の深い信心を称えられている。

 
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