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千日尼御前御返事(せんにちあま ごぜん ごへんじ) 背景と大意.

 
 
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こうあん がんねん(1278ねん) 7がつ 28にち、にちれんだいしょうにん 57さいの おんとき、 さどの  あぶつぼうが くようの しなを たずさえて みのぶの だいしょうにんに もうでたとき、つまの せんにちあまに あたえられた おてがみ。
べつめいを、「しんじつ ほうおんきょうの こと」といい、「ほけきょうが じも(はは)えの おんを ほうじられる しんじつの ほうおんきょうである」と とかれた ごしょである。

だいしょうにんは、ぶっぽうが いんどから ちゅうごくをへて にほんに でんらいした けいいをのべられたうえで、「ちを はしるものの おう ししおう、そらを とぶものの おう わし」とのたとえを とおし、ほけきょうこそが さいこうの きょうてんで あると のべられました。
いっぽう、ほけきょういぜんの おしえを きじや うさぎに たとえられ、「しょきょうは ぶぶんてきな おしえを といたもので、まんにんじょうぶつを ときあかした ほけきょうの まえには むりょくである(くらべものにならない)」とも のべられています。
ほんしょうでは、「りゅうにょと もうせし くちなわを げんしんに ほとけに なして ましましき」と、りゅうにょの そくしんじょうぶつを かたられ、いっさいしゅじょうが ほとけになる ことは うたがいないと ごしなん されています。

ほんしょうの とくちょうてきな ごもんを いかに しめす。

「この きょうもんは いっさいきょうに すぐれたり  ち はしる ものの おうたり ししおうの ごとし そら とぶ ものの おうたり わしの ごとし  なむあみだぶつきょうとうは きじの ごとし うさぎの ごとし  わしに つかまれては なみだを ながし ししに せめられては はらわたを たつ」



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弘安元年(1278年)7月28日、日蓮大聖人 57歳の御時、佐渡の阿仏房が供養の品を携えて身延の大聖人に詣でた時、妻の千日尼に与えられた御手紙。
別名を「真実報恩経事」といい、「法華経が悲母への恩を報じられる真実の報恩経である」と説かれた御書である。

大聖人は、仏法がインドから中国を経て日本に伝来した経緯を述べられた上で、「地を走る者の王である師子王、空を飛ぶ者の王である鷲」との譬えを通し、法華経こそが最高の経典であると述べられました。
一方、法華経以前の教えを雉や兎に譬えられ、「諸経は部分的な教えを説いたもので、万人成仏を解き明かした法華経の前には無力である(比べものにならない)」とも述べられています。
本抄では、「竜女と 申せし 小蛇(ちいさな蛇)を 現身に 仏に なして ましましき」と竜女の即身成仏を語られ、一切衆生が仏になることは疑いないとご指南されています。

本抄の特徴的な御文を以下に示す。

「此の 経文は 一切経に 勝れたり 地 走る 者の 王たり、師子王の ごとし 空 飛ぶ 者の 王たり 鷲の ごとし、南無阿弥陀仏経等は きじの ごとし 兎の ごとし 鷲に つかまれては 涙を ながし 師子に せめられては 腸わたを たつ」

 
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