c
1336-2.
生死一大事血脈抄(しょうじ いちだいじ けつみゃくしょう)
 背景と大意

 
 
a
ぶんえい 9ねん (1272ねん) 2がつ 11にち、にちれんだいしょうにん 47さいの おんとき、さどの つかはらにて、さいれんぼう にちじょうに あたえられた ごしょ。
にちれんだいしょうにんの でしとなった さいれんぼうが、しょうじいちだいじけつみゃくの ほうもんを しつもんしたことに たいし、かいとうされた しょである。
しょうじいちだいじけつみゃくとは、みょうほうれんげきょうのいみょうであり、なむみょうほうれんげきょうを いたいどうしんで となえる だいしょうにんの でし、だんなにのみ しょうじいちだいじの けつみゃくが うけつがれていると ごしなんされています。
ぶんまつ、さいれんぼうには、いよいよ だいしんりきを おこすように はげまされています。

いかに、ほんしょうの しゅような ごもんを しめします。

「くおんじつじょうの しゃくそんと かいじょうぶつどうの ほけきょうと われら しゅじょうとの みっつ まったく さべつ なしと さとりて みょうほうれんげきょうと となえ たてまつる ところを  しょうじいちだいじの けつみゃくとは いうなり」
「にちれんが でし だんな とう じた ひしの こころなく すいぎょの おもいを なして いたいどうしんに して なむみょうほうれんげきょうと となえ たてまつる ところを しょうじいちだいじの けつみゃくとは いうなり」
「こがねは たいかにも やけず たいすいにも ただよわず くちず くろがねは すいか ともに たえず けんじんは こがねの ごとく ぐにんは くろがねの ごとし」
「ざいざい しょぶつど じょうよ しぐしょう よも そらごと そうらわじ」
「ひは やき てらすを もって ぎょうと なし みずは くえを きよめるを もって ぎょうと なし かぜは じんあいを はらうを もって ぎょうと なし また じんちく そうもくの ために たましいと なるを もって ぎょうと なし だいちは そうもくを しょうずるを もって ぎょうと なし てんは うるおすを もって ぎょうを なす みょうほうれんげきょうの ごじも また かくの ごとし」



b
文永9年(1272年)2月11日、日蓮大聖人 51歳の御時、佐渡の塚原にて、最蓮房日浄に与えられた御書。日蓮大聖人の弟子となった最蓮房が、生死一大事血脈の法門を質問したことに対し、回答された書である。
生死一大事血脈とは、妙法蓮華経の異名であり、南無妙法蓮華経を異体同心で唱える日蓮大聖人の弟子、檀那にのみ生死一大事の血脈が受け継がれているとご指南されています。
文末、最蓮房には、いよいよ大信力を起こすように励まされています。

以下に、本抄の主要な御文を示します。

「久遠実成の釈尊と 皆成仏道の法華経と 我等 衆生との三つ 全く差別無しと解りて 妙法蓮華経と 唱え奉る処を 生死一大事の血脈とは云うなり」
「日蓮が弟子檀那等・自他 彼此の心なく 水魚の思を成して 異体同心にして 南無妙法蓮華経と唱え奉る処を 生死一大事の血脈とは云うなり」
「金は大火にも焼けず 大水にも漂わず 朽ちず・鉄は水火共に堪えず・ 賢人は金の如く 愚人は鉄の如し」
「在在諸仏土常与師倶生 よも 虚事 候はじ」
「火は 焼照を以て 行と為し・水は 垢穢を浄るを以て 行と為し・風は 塵埃を払ふを以て 行と為し・又 人畜草木の為に魂となるを以て 行と為し・ 大地は 草木を生ずるを以て 行と為し・
天は 潤すを以て 行と為す・妙法蓮華経の五字も 又 是くの如し」

 
 →a1336-2
 →b1336-2
 ホームページトップ
inserted by FC2 system