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1381.
松野殿御返事 (別名、十四誹謗抄) 背景と大意.

 
 
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けんじ 2ねん (1276ねん) 12がつ ここのか、にちれんだいしょうにん 55さいの おんとき、まつのろうろうさえもんにゅうどうに あたえられた ごしょ。
ぼうとう、まつのろくろうが たびたび だいしょうにんに くようした しんじんを ほめられている。
つぎに、しつもんに こたえられ、しょうにんの となえる だいもくも ぼんぷの となえる だいもくも、しんじんが あれば しょうれつは ない とされ、じゅうしひぼうに ふれて、ほけきょう(ごほんぞん)を たもつものを そしっては ならないと いましめられている。
じゅうしひぼうとは、「きょうまん、けたい、けいが、せんしき、じゃくよく、ふげ、ふしん、ひんしゅく、ぎわく、ひぼう、きょうぜん、ぞうぜん、しつぜん、こんぜん」.である。
きょうまんとは ぞうじょうまんのこと、けたいとは ぶつどうしゅぎょうを おこたること、けいがとは がけんのこと、せんしきとは けいはくな ちしきで しょうほうを ひはんすること、じゃくよくとは よくぼうに しゅうちゃく すること 、ふげとは きょうぎを りかいせず じこまんぞくしている こと、ふしんとは ぶつぽうを りかいしないこと、ひんしゅくとは かおを しかめながら ひはんすること、ぎわくとは ぶっぽうを うたがうこと、ひぼうとは そしり わるくちを いうこと、きょうぜんとは けいべつし ばかに すること、ぞうぜん、しつぜん、こんぜんは、いずれもぶつどうしゅぎょうしゃを にくむこと である。
つぎに、せっせんどうじの れいを ひかれ、しんみょうを すてて ぶつどうを もとめるよう しどうされている。
さいごに、しんじんが よわければ じょうぶつ できないと ごしなん されている。



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健治2年(1276年)12月9日、日蓮大聖人 55歳の御時、、松野六郎左衛門入道に与えられた御書。
冒頭、松野六郎がたびたび大聖人に供養した信心をほめられている。
次に質問に答えられ、聖人の唱える題目も凡夫の唱える題目も、信心があれば勝劣はないとされ、十四誹謗にふれて、法華経(御本尊)を持つ者を謗ってはならない誡められている。
十四誹謗とは、「きょう慢、懈怠、計我、浅識、著欲、不解、不信、顰蹙、疑惑、誹謗、 軽善、憎善、嫉善、恨善」.である。
きょう慢とは、増上慢のこと、懈怠とは仏道修行を怠ること、計我とは我見のこと、浅識とは軽薄な知識で正法を批判すること、著欲とは欲望に執着すること、不解とは教義を理解せず自己満足していること、不信とは仏法を理解しないこと、顰蹙とは顔をしかめながら非難すること、疑惑とは仏法を疑うこと、誹謗とは謗り悪口を言うこと、 軽善とは軽蔑し馬鹿にすること、憎善、嫉善、恨善は、いずれも仏道修行者を恨むことである。
次に、雪山童子の例を引かれ、身命を捨てて仏道を求めるよう指導されている。
最後に、信心が弱ければ成仏できないとご指南されている。

 
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