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1472.
蒙古使御書 (もうこ つかい ごしょ) 背景と大意.

 
 
a
けんじ がんねん(1275ねん)、にちれんだいしょうにん 54さいの おんとき、するがのくに(しずおかけん)の にしやましに あたえられた ごしょ。
ぜんねんの ぶんえい 11ねんに もうこらいしゅう(ぶんえいのえき)があり、もうこは たいふうで かいめつしたが、ふたたび らいしゅう する ことは ひっしで あると よそく された。
ばくふは もうこの ししゃを たつのくちで ざんしゅ したが、だいしょうにんは「にほんの しんの てきで ある じゃしゅうの そうの くびを きらないで、つみなき もうこの ししゃを きった ことは あやまりで ある」と のべられている。
また、にちやましの しょりょうで おこなわれる よてい だった しゅりょうが もうこしゅうらいで ちゅうしに なり、にしやましが きゅうしゅうに いかなくて よくなった ことは、しゅっぴが なくなったので あるから くどくで あると おしえられている。



b
建治元年(1275年)、日蓮大聖人 54歳の御時、駿河国(静岡県)の西山氏に与えられた御書。
前年の文永11年に蒙古来襲(文永の役)があり、蒙古は台風で壊滅したが、再び来襲することは必至であると予測された。
幕府は蒙古の使者を竜の口で斬首したが、大聖人は「日本の真の敵である邪宗の僧の首を斬らないで、罪なき蒙古の使者を斬ったことは誤りである」と述べられている。
また、西山氏の所領で行われる予定だった狩猟が蒙古襲来で中止になり、西山氏が九州に行かなくてよくなったことは、出費がなくなったのであるから功徳であると教えられている。

 
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