c1504.
上野殿後家尼御返事 背景と大意.

 
 
a
ぶんえい 11ねん(1274ねん) 7がつ、にちれんだいしょうにん 53さいの おんとき、なんじょうときみつの ははに あたえられた ごしょ。
ごけあまが おっとの ついぜんくようの ため しなじなを だいしょうにんに おくったことにたいし、そくしんじょうぶつに ついて のべられている ごしょうそくである。
せいぜんの おっとの しんじん、また、ごけあまの じゅんすいな しんじんによって、こじんの おっとの じょうぶつは うたがいないこと、じごくも じょうども にんげんの そとに あるものではなく、せいめいに ないざいする ことを のべられ、ひびの しんじんの つみかさねが じゅうようである とごしなんされている。
さいごに、おっとの しを なげくことは ぼんぷの ことわりであるが、なげくべきことではないと のべられている。
いかに、ほんしょうの とくちょうてきな ごもんを しめす。
「いきて おわしき ときは せいの ほとけ いまは しの ほとけ しょうじ ともに ほとけ なり そくしんじょうぶつと もうす だいじの ほうもん これなり」
「それ じょうどと いうも じごくと いうも ほかには そうらわず ただ われらが むねの あいだに あり これを さとるを ほとけと いう これに まようを ぼんぷと いう」
「てんだい いわく じゅうらんにしょう うんぬん、この しゃくの こころは あいは はの ときよりも なお そむれば いよいよ あおし、ほけきょうは あいの ごとし、しゅぎょうの ふかきは いよいよ あおきが ごとし」



b
文永11年(1274年)7月、日蓮大聖人 53歳の御時、南条時光の母に与えられた御書。
後家尼が夫の追善供養のため品々を大聖人に送ったことに対し、即身成仏について述べられている御消息である。
生前の夫の信心、また、後家尼の純粋な信心によって、故人の夫の成仏は疑いないこと、地獄も浄土も人間の外にあるものではなく、生命に内在することを述べられ、日々の信心の積み重ねが重要であるとご指南されている。
最後に夫の死を嘆くことは凡夫のことわりであるが、嘆くべきことではないと述べられている。

以下に、本抄の特徴的な御文を示す。
「いきて をはしき 時は 生の 仏 今は 死の 仏 生死 ともに 仏 なり、即身成仏と 申す 大事の 法門 これなり」
「夫れ 浄土と 云うも 地獄と 云うも 外には 候はず、ただ 我等が むねの 間に あり これを さとるを 仏と いふ、これに まよふを 凡夫と 云う」
「天台 云く 従藍而青 云云、此の 釈の 心は あいは 葉の ときよりも なを そむれば いよいよ あをし、法華経は あいの ごとし、
修行の ふかきは いよいよ あをきが ごとし」

 
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