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1555.
上野殿御返事 別名、刀杖難事(とうじょうなんのこと) 背景と大意

 
 
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ぶんえい 5ねん (1279ねん) 8がつ はつか、にちれんだいしょうにん 58さいの おんとき、なんじょうときみつに あたえられた ごしょ。
ほけきょう だい5のまきと にちれんだいしょうにん ごじしんとの かんけいを だいなんと ぶっぽうるふの うえから あかされ、まっぽう ごほんぶつの ないしょうを しめされている。
また、し てきたいした しょうぼうの ぎゃくえんの きゅうさいを おしめしになり、ときみつに たいして しんじんの こころがまえを おしえている。
しょうぼうとは、はじめ、にちれんだいしょうにんの でしで あったが、いずるざいの ほうなんの ころから たいてんし、てきたいした じんぶつ。
たつのくちの ほうなんでは、へいのさえもんのじょうらと まつばがやつの そうあんを おそい、ほけきょうの だいごのまきで だいしょうにんの あたまを うった。

ほんしょうの とくちょうてきな ごもんを いかに しめす。
「しゅじゅの だいなんの なかには たつのくちの くびのざと とうじょうのなんには すぎず」
「にちれんは とうじょうの 2じともに あいぬ.(中略)とうじょうのまつばらと たつのくちとなり」
「にちれん うまれし ときより いまに 1にち かたときも こころやすき ことは なし.
この ほけきょうの だいもくを ひろめんと おもう ばかり なり」
「ごりんじゅうの きざみ しょうじの ちゅうげんに にちれん かならず むかえに まいり そうろうべし」



b
弘安2年(1279年)8月20日、日蓮大聖人 58歳の御時、南条時光に与えられた御書。
法華経第五の巻と日蓮大聖人御自身との関係を大難と仏法流布の上から明かされ、末法御本仏の内証を示されている。
また、師敵対した小輔房(しょうぼう)の逆縁の救済をお示しになり、時光に対して信心の心構えを教えている。

小輔房(しょうぼう)とは、初め、大聖人の弟子であったが、伊豆流罪の法難のころから退転し、敵対した人物。竜の口の法難では、平左衛門尉(へいのさえもんのじょう)らと松葉ヶ谷の草案を襲い、法華経の第五の巻で大聖人の頭を打った。

本抄の特徴的な御文を以下に示す。
「種種の 大難の 中には 竜口の 頚の 座と 東条の 難には すぎず」
「日蓮は 刀杖の 二字 ともに あひぬ.(中略)東条の 松原と 竜口と なり」
「日蓮 生れし 時より いまに 一日 片時も・ こころやすき 事は なし、
此の 法華経の 題目を 弘めんと 思う ばかり なり」
「御臨終の きざみ 生死の 中間に 日蓮 かならず むかいに まいり 候べし」

 
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