c
1560.
上野殿御返事 (別名、竜門御書) 背景と大意.

 
 
a
こうあん 2ねん (1269ねん) 11がつ むいか、にちれんだいしょうにん 58さいの おんとき、なんじょうときみつに あたえられた ごしょ。
りゅうもんの こじを とおして ごしなん されている ことから、べつめいを「りゅうもんごしょ」という。
ほんしょうに おいて だいしょうにんは、あつはらの ほうなんに さいして、いちもんを げごした ときみつの しんじんを しょうさん されている。
あつはらほうなんは、するがのくに ふじぐん あつはらごうで、だいしょうにん もんかが うけた はくがいで ある。
ほうなんでは じんしろう やごろう やろくろうの さんれっしが しょけい された。
あつはらほうなんに あたり、なんじょうときみつは ゆうかんに げごに つとめた。
そのため、ばくふの だんあつを うけ、のる うまも ないほどに ひんきゅう したが、だいしょうにんに ごくようの まことを つくしている。
だいしょうにんは、ときみつの けんしんてきな じんりょくを たたえられ、ほんしょうで「うえのけんじん」と しるされている。



b
弘安2年(1269年)11月6日、日蓮大聖人 58歳の御時、南条時光に与えられた御書。
竜門の故事をとおして御指南されていることから、別名を「竜門御書」という。
本抄において大聖人は、熱原の法難に際して、一門を外護した時光の信心を称賛されている。
熱原法難は、駿河国富士郡熱原郷で大聖人門下が受けた迫害である。
法難では、神四郎、弥五郎、弥六郎の三烈士が処刑された。
法難にあたり、南条時光は勇敢に外護に努めた。そのために幕府の弾圧を受け、乗るべき馬もないほどに貧窮したが、大聖人に御供養の誠を尽くしている。
大聖人は、時光の献身的な尽力を讃えられ、本抄で「上野賢人」と記されている。

 
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