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1586.
法華証明抄 (ほっけしょうみょうしょう) 背景と大意

 
 
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こうあん 5ねん (1282ねん) 2がつ 28にち、にちれんだいしょうにん 61さいの おんとき、なんじょうときみつに おくられた ごしょ。
とうじ、ときみつは 24さいで、びょうしょうにあった。
ほんしょうでは、「ほけきょうを きょうの ごとく しんじゅするものは かならず じょうぶつする。あなたは いかなる なんに あっても ほけきょうを すてなかったので かならず じょうぶつする。そのあなたを どうようさせようと てんまや げどうが ためしているのであろう」とのべられ、ときみつを なやます きじんを しっせきされて むすばれている。

ほんしょうの とくちょうてきな ごもんを いかに しめします。

「ひとの ちに たおれて かえって ちより たつが ごとし」
「ついに すつる こころ なくて そうらえば すでに ほとけに なるべしと みえ そうらえば てんま げどうが やまいを つけて おどさんと こころみ そうろうか」
「いのちは かぎりある ことなり すこしも おどろく こと なかれ」



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弘安5年(1282年)2月28日、日蓮大聖人 61歳の御時、南条時光に送られた御書。
当時、時光は24歳で、病床にあった。
大聖人は、御自らの病体を押して、時光を激励されている。
本抄では、「法華経を経のごとく信受する者は必ず成仏する。あなたはいかなる難にあっても法華経を捨てなかったので必ず成仏する。そのあなたを動揺させようとして天魔、外道が試しているのであろう」と述べられ、時光を悩ます病魔を叱責されて結ばれている。

本抄の特徴的な御文を以下に示します。

「人の地に倒れて還つて地より起つが如し」
「ついに捨つる心なくて候へば すでに仏になるべしと見へ候へば 
天魔外道が病をつけてをどさんと 心み候か」
「命はかぎりある事なり すこしもをどろく事なかれ」


 
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