c
1596. 
白米一俵御書 (はくまいいっぴょうごしょ)
別名、理事供養御書 (りじくようごしょ) 背景と大意.

 
 
a
にちれんだいしょうにんが みのぶ ざいちゅうの ときに しるされた ごしょ。
ごじゅっさく ねんがっぴ あてなは あきらかでない。
もんかの ものが はくまい いっぴょう などを ごくようした ことに たいする ごへんじで、 くようの ありかたが しるされている。
ひとには ころもと しょくの 2つの たからが あり、 とくに ひとは しょくに よって いのちを つなぐ。 その いのちは いっさいの たからに すぐれた たから であり、こらい じょうぶつを とげる ためには いのちの くようが おこなわれ、せっせんどうじや やくおうぼさつ などの しょうにん けんじんは じくようで あった。
ぼんぷは、 ただ 1まい しかない ころもを くよう することが、 しんみょうを もって くよう するのと おなじで りくように なると のべられている。
はくまいの くようは、じぶんの いのちを くようした ことに なるとも のべられている。



b
日蓮大聖人が身延在中の時に記された御書。御述作年月日、宛名は明らかでない。
門下の者が白米一俵などを御供養したことに対する御返事で、供養のあり方が記されている。
人には衣と食の二つの財があり、特に人は食によって命をつなぐ。
その命は、一切の財に勝れた財であり、古来、成仏を遂げるためには命を供養することが行われれ、雪山童子や薬王菩薩などの聖人、賢人は事供養であった。
凡夫は、ただ1枚しかない衣を供養することが、身命をもって供養するのと同じで理供養になると述べられている。白米の供養は、自分の命を供養したことになるとも述べられている。

 
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