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169.
宿屋入道への御状(やどやにゅうどうえのごじょう) 背景と大意

 
 
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ぶんえい 5ねん (1269ねん) 8がつ 21にち、にちれんだいしょうにん 47さいの おんとき、やどや にゅうどう みつのりに あたえられた しょじょう。
かこ、だいしょうにんは、やどやにゅうどうを つうじて りっしょうあんこくろんを ぜん しっけん ほうじょうときよりに ていしゅつ されている。
この しょじょうでは、やどや にゅうどうに たいし、りっしょうあんこくろんの よげん どおり もうこの こくしょがきたが、もうこを ちょうふく できるのは、だいしょうにん ごじしんのみで あると かたられ、ほうじょうしと たいめんするために やどや にゅうどうに けんざん したい むねを のべられている。
しかし、この問いかけは もくさつ された。
このため、だいしょうにんは 2かげつ ごに 11つうごしょに よって かくじん かくしょに けいこくを される ことに なった。



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文永5年(1269年)8月21日、日蓮大聖人 47歳の御時、宿屋入道光則に与えられた書状。
過去、大聖人は、宿屋入道を通じて立正安国論を 前執権 北条時頼に提出されている。
この書状では 宿屋入道に対し、立正安国論の予言通り 蒙古の国書が来たが、蒙古を調伏できるのは、大聖人御自身のみであると語られ、北条氏と対面するために 宿屋入道に見参したい旨を述べられている。
しかし、この書状は 黙殺された。
このため、大聖人は2ヵ月後に十一通御書によって 各人各所に 警告をされることになった。

 
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