c
179.
行敏御返事 (ぎょうびん ごへんじ) 背景と大意.

 
 
a
ぶんえい8ねん(1271ねん)7がつ8にち 、にちれんだいしょうにん 50さいの おんとき、ねんぶつそう・ ぎょうびんに あたえられた しょじょう。
①ほけきょう いぜんの いっさいの きょうは しんじつの ほうではない、②だいしょうの かいりつは せけんを まどわして しかも あくどうに おとす、③ねんぶつは むけんじごくの ごう、④ぜんしゅうは てんまの せつとする だいしょうにんへの こんきょを とい、たいろんを もうしでてきた ぎょうびんに たいし、してきな もんどうを きょひされ、「あくまで こうじょうたいけつに おいて ぜひを けっすべき」と こたえた しょじょう。



b
文応元年(1260年)5月28日、日蓮大聖人 39歳の御時の書。
文永8年(1271年)7月8日、日蓮大聖人 50歳の御時、念仏僧・行敏に与えられた書状。
① 法華経以前の一切の経は真実の法ではない、②大小の戒律は世間を惑わしてしかも悪道に落す、③念仏は無間地獄の業、④禅宗は天魔の説とする大聖人への根拠を問い、対論を申し出てきた行敏に対し、私的な問答を拒否され、「あくまで公場対決において是非を決すべき」と答えた書状。

 
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