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180.
行敏訴状御会通(ぎょうびん そじょう ごえつう) 背景と大意
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ぶんえい 8ねん (1271ねん)、 ねんぶつそうの ぎょうびんを めいもくじょうの げんこくとして、ごくらくじりょうかんらが おこした そじょうに たいし、にちれんだいしょうにんが とうきょくに ていしゅつされた ちんじょう (とうべんしょ)。
そじょうには、「ほけきょうだけを ぜと して、たのきょうてんを ひと して ひぼうしている」、「ねんぶつを むげんじごくの ごうで あるとしている」、「ぜんしゅうを てんまの せつとしている」 など、しゅうきょうじょうの ひなんに ついて かかれ、つづいて 「あみだぶつの ぶつぞうを ひにいれ、みずに ながしている」、「きょうとを あつめ ゆみや じょうを たくわえて ぶそうしている」 など、だいしょうにん もんかが はん しゃかいてきな しゅうだんで あると のべらていた。
これに たいし、ほけきょう いがいの きょうてんを しりぞけるのは にちれんの じせつではなく、しじゆう よねん みけんしんじつ、ようとうせつ しんじつ などの しゃくそんの きんげんで あると はんろん されている。
さらに、ぶつぞうを やいたり ながしたり、あるいは ぶそうしていると いう うったえに たいしては、「たしかな しょうにんを だすべきであり、もし、しょうこが だせないなら、むしろ ごくらくじりょうかんらが つみを にちれんに おわせようとしている ことになる」と のべられ、「きょうとを あつめているのは、むしろ ごくらくじや たほうじ、ちょうらくじである とろんぱ されている。



b
文永8年(1271年)、念仏僧の行敏(ぎょうびん)を名目上の原告として、極楽寺良観らが起こした訴状に対し、日蓮大聖人が当局に提出された陳状(答弁書)。
訴状には、「法華経だけを是として、他の経典を非として誹謗している」、「念仏を無間地獄の業であるとしている」、「禅宗を天魔の説としている」など、宗教上の非難について書かれ、続いて「阿弥陀仏の仏像を火に入れ、水に流している」、「兇徒を集め弓や杖を貯えて武装している」など、大聖人門下が反社会的な集団であると述べられていた。
これに対し、法華経以外の経典を退けるのは「日蓮の自説」ではなく、「四十余年未顕真実」「要当説真実」などの「釈尊の金言」であると反論されている。
さらに、仏像を焼いたり流したり、あるいは武装しているという訴えに対しては、「確かな証人を出すべきであり、もし、証拠が出せないなら、むしろ極楽寺良観らが罪を日蓮に負わせようとしていることになる」と述べられ、「兇徒を集めているのは、むしろ極楽寺や多宝寺、長楽寺であると論破されている。

 
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