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184.
強仁状御返事(ごうにんじょうごへんじ) 背景と大意
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けんじ がんねん (1275ねん) 12がつ 26にち、にちれんだいしょうにん 54さいの おんとき、するがの くに (しずおかけん) ふじぐんに すむ しんごんそうの ごうにんからの なんじょうに たいする へんしょ。
ごうにんが、ほけきょう さいだいいちとして たもんを はいじょすることは ぶっせつに いはいする として、「ほうろんに より せいじゃを けっしたい」と いってきた ことに たいし、だいしょうにんは 「せいじゃの けっていは こうじようにおいて おこなわれる べきである」とされ、また「しんごん、ぜん、ねんぶつなどは、ぶっぽうに くらく、よのなかも しんごんそうを もとめているので、かえって だいなんを まねこうと している」とのべられている。



b
健治元年(1275年)12月26日、日蓮大聖人 54歳の御時、駿河国(するがのくに・静岡県)富士郡に住む真言僧の強仁からの難状に対する返書。
強仁とは、強忍とも書く。
強仁が、法華経最第一として他門を排除することは仏説に違背するとして、「法論により正邪を決したい」と言ってきたことに対し、大聖人は 「正邪の決定は公場において行われるべきである」とされ、また 「真言、禅、念仏等は、仏法に暗く、世の中も真言僧を求めているので、かえって大難を招こうとしている」と述べられている。

 
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