c
293.
報恩抄 (ほうおんしょう) 背景と大意.

 
 
a
けんじ 2ねん(1276ねん) 7がつ 21にち、にちれんだいしょうにん 52さいの おんとき、あわのくに(ちばけん) せいちょうじの こし・どうぜんぼうの ために、じょうけんぼうと ぎじょうぼうに あたえられた ごしょ。
にちれんだいしょうにんは、せいちょういじに 12さいの とき より しゅうがく されたが、その ときの ししょうが どうぜんぼうであり、じょうけんぼうと ぎじょうぼうは あにでし である。
どうぜんぼうのせいきょをきかれただいしょうにんはほうおんしょうをしたためられ、でしのにこうをししゃとしてでむかせ、どうぜんぼうのぼぜんではいどくさせた。
ほんしょうの ほうおんとは、2つの いみが あり、1つはふぼ、ししょう、さんぽう、こくしゅへの ほうしゃで あり、べっして しの どうぜんぼうに たいする ほうしゃで ある。
ないようは、おんを ほうじる ためには、かならず ぶっぽうを ならい きわめて ちしゃに なる ことが かんようと されるが、その ぶっぽうは しょしゅうに わかれ、いずれが ほとけの ほんいか わからない。
そこで いんど、ちゅうごく、にほんの かくしゅうの きょうぎを あげられて はしゃくされ、ほけきょうが さいしょうで あり、その ほけきょうの かんじんが なんみょうほうれんげきょうで あることを しめされている。
とくに、しんごんしゅう(みっきょう)を つよく ろんぱ されている。
ほんしょうには いかの ゆうめいな ごもんで だいしょうにんの さんとくを のべられている。
「にちれんが じひ こうだいならば なんみょうほうれんげきょうは まんねんの ほか みらい までも ながるべし
にほんこくの いっさいしゅじょうの もうもくを ひらける くどく あり
むけんじごくの みちを ふさぎぬ」



b
建治2年(1276年)7月21日、日蓮大聖人 55歳の御時、安房の国(千葉県)清澄寺の故師・道善房のために、浄顕房と義浄房に与えられた御書。
日蓮大聖人は、清澄寺に12歳の時より修学されたが、その時の師匠が道善房であり、浄顕房と義浄房は兄弟子である。
道善房の逝去を聞かれた大聖人は報恩抄をしたためられ、弟子の日向を使者として出向かせ、道善房の墓前で拝読させた。
本抄の報恩とは、二つの意味があり、一つは父母、師匠、三宝、国主へ報謝であり、別して師の道善房に対する報謝である。
内容は、恩を報じるためには、必ず仏法を習い極めて智者になることが肝要とされるが、その仏法は諸宗に分かれ、いずれが仏の本意か分からない。
そこでインド、中国、日本の各宗の教義を挙げて破折され、法華経が最勝であり、その法華経の肝心が南無妙法蓮華経であることを示されている。
特に、真言宗(密教)を強く論破されている。
本抄には以下の有名な御文で大聖人の三徳を述べられている。
「日蓮が 慈悲曠大ならば 南無妙法蓮華経は 万年の 外 未来 までも ながるべし
日本国の 一切衆生の 盲目を ひらける 功徳 あり
無間地獄の 道を ふさぎぬ」

 
→a293
→b293
 ホームページトップ
inserted by FC2 system