c33.
安国論御勘由来 背景と大意.

 
 
a
ぶんえい 5ねん(1268ねん) 4がつ 5にち、にちれんだいしょうにん 47さいの おんとき、ほうがんぼうに あたえられた ごしょ。
ほうがんぼうが どんな じんぶつかは ふめいだが、ほうじようときよりに うえんの ひとと すいてい されている。

りっしょうあんこくろんを ていしゅつご、さいなんが ぞくしゅつ している りゆうが、しょうほうを やぶる ねんぶつの おうこうに たいして いせいしゃが むかんしんの ゆえとされ、いまこそ しょうほうに めざめなければ こっかの はめつを きたすことを のべられている。
このことを じんむてんのう、でんきょうだいしの せんれいを ひいて のべられ、この さいなんを たいじ できるのは にちれんだいしょうにん おひとりで あると けいこく されている。



b
文永5年(1268年)4月5日、日蓮大聖人 47歳の御時、法鑒房(ほうがんぼう)に与えられた御書。
法鑒房(ほうがんぼう)がどんな人物かは不明だが、北条時頼に有縁の人と推定されている。

立正安国論(りっようあんこくろん)を提出後、災難が続出している理由が 正法を破る念仏の横行に対して 為政者が無関心のゆえとされ、今こそ 正法に目覚めなければ国家の破滅をきたすことを述べられている。
このことを神武天皇、伝教大師の先例を引いて述べられ、この災難を退治できるのは 日蓮大聖人御一人であると警告されている。
 

 
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