c383.
一生成仏抄 背景と大意

 
 
a
けんちょう 7ねん (1255ねん)に かまくらにおいて 
にちれんだいしょうにんが したためられた ごしょうそく。
たいごうしゅうについては、こらい しもうさの ときじょうにんと されている。
ほけきょう いがいの きょうてんは ほうべん ごんきょうの そほうであるから、
いっしょう じょうぶつは かなわないと されたうえで 
なんみょうほうれんげきょうの だいもくを となえることが 
いっしょう じょうぶつの じきどうで あることを きょうちょうされている。
また しゅじょうも ほとけも べつべつの ものではなくて 
まようときを しゅじょうといい さとるときを ほとけとなづけるとされ、
かがみも みがけば みょうきょうとなる たとえをひいて、
だいもくを となえることが むみょうの めいしんを 
みがくことになると おしえられている。



b
建長7年(1255年)に 鎌倉において 日蓮大聖人が したためられた御消息。
対告衆については、古来 下総の富木常忍とされている。
法華経以外の経典は 方便権教の粗法であるから、一生成仏は叶わないとされた上で 
南無妙法蓮華経の題目を唱えることが 一生成仏の直道であることを強調されている。
また 衆生も 仏も 別々のものではなく、迷うときを衆生といい 
悟るときを仏と名づけるとして、鏡も磨けば明鏡になる譬えを引いて、題目を唱えることが 無明の迷心を 磨くことになると教えられている。
 

 
 →a383
 →b383
 ホームページトップ
inserted by FC2 system