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如説修行抄 (にょせつ しゅぎょう しょう) 背景と大意.

 
 
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ぶんえい 10ねん (1273ねん) 5がつ、にちれんだいしょうにんが さどるざい ちゅうに いちのさわに おいて ごじゅっさくされ、もんか いちどうに あたえられた ごしょ。
まつぽう こんじは とうじょうけんごで あり、また さんどくごうじょうで あるから、しゃくそんの ぶっぽうに おいては かんがえられない ほどの だいなんがある。
そのなかで、ぜんしで ある にちれんだいしょうにんと ごほんぞんを こんぽんとして ほんもんの だいもくを となえる でし だんなには かならず なんがあるが、この にょせつしゅぎょうの なかに こそ しんの あんらくがある。
ぶつどうしゅぎょうには ときに よって しょうじゅと しゃくふくの にもん があるが、まつぽうは ほっけしゃくふくの ときであり、にぜんきょうが てきとなって こうせんるふを さまたげようと する ときは しゃくふくを おこなわなければ ならないと のべられている。
また、ほけきょうのぎょうじゃには さんるいのごうてきが かならず しゅつげんする。
しかし、だいしょうにんを はじめ でしの なんが おおきい ことは、いちもんが しんじつの にょせつしゅぎょうの ぎょうじゃであると いう しょうめいであり、かならず じょうぶつ できると だんげん されている。
さいごに「たとえ どんな くるしい めに あっても、どんな だいなんに あっても、たいてん したり おそれては ならない。いのち ある かぎり なんみょうほうれんげきょうと となえなさい」と はげまされている。



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文永10年(1273年)5月、日蓮大聖人が佐渡流罪中に一谷(いちのさわ)において御述作され、門下一同に与えられた御書。信心修行の在り方を教えられた書である。
末法今時は、如説修行の師弟人法が最も肝心であると御指南されている。
末法の時代は闘諍堅固であり、また三毒強盛であるから、釈尊の仏法においては考えられないほどの大難がある。
その中で、善師である日蓮大聖人と御本尊を根本として本門の題目を唱える弟子檀那には必ず難があるが、この如説修行の中にこそ真の安楽がある。
仏道修行には、時によって摂受(しょうじゅ)と折伏の二門があるが、末法は法華折伏の時であり、爾前経(にぜんきょう)が敵となって広宣流布を妨げようとする時は折伏を行なわなけれなならないと述べられている。
又、法華経の行者には三類の強敵が必ず出現する。
しかし、大聖人をはじめ弟子の難が大きいことは、一門が真実の如説修行の行者であるという証明であり、必ず成仏できると断言されている。
最後に「たとえどんな苦しい目にあっても、どんな大難にあっても、退転したり恐れてはならない。命ある限り南無妙法蓮華経と唱え抜きなさい」と励まされている。

 
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