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清澄寺大衆中(せいちょうじ たいしゅうちゅう) 背景と大意

 
 
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けんじ 2ねん (1272ねん) 1がつ 11にち、にちれんだいしょうにん 55さいの おんとき、せいちょうじの そう いちどうに あたえられた しょじょう。
とうじ、みのぶの だいしょうにんの もとに、しんごんそう ごうじん より かんじょうが とどき、こうじょうたいけつで せいじゃを めいかくに する こうきが とうらい したので、ほうろんに そなえて しんごんの しょせきの たいよを いらい されている。
こくぞうぼさつに にほん だいいちの ちしゃに なし たまえとの せいがいんを たてられた ことや、その ほうおんの ために りっしゅうせんげんを された ことを のべられている。

ほんしょうの とくちょうてきな ごもんを いかに しめす。
「しょうしんの  こくうぞうぼさつ より だいちえを たまわりし こと ありき  
にほん だいいちの ちしゃと なし たまえと もうせし ことを ふびんとや おぼしめしけん  
みょうじょうの ごとくなる だいほうじゅを たまいて みぎの そでに うけとり そうらいし ゆえに 
いっさいきょうを み そうらい しかば 
はっしゅう ならびに いっさいきょうの しょうれつ ほぼ これを しりぬ」
「いまは よし のちを ごらんぜよ  
にほんこくは とうじの いき つしまの ように なり  そうらわん ずるなり  (中略)
むけんじごくに おちんこと ふびんなり ふびん なり」



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建治2年(1272年)1月11日、日蓮大聖人 55歳の御時、清澄寺の僧一同に与えられた書状。
当時、身延の大聖人のもとに、真言僧、強仁(ごうじん)より勘状が届き、公場対決で正邪を明確にする好機が到来したので、法論に備えて真言の書籍の貸与を依頼されている。
虚空蔵菩薩に日本第一の智者になし給えとの誓願を立てられたことや、その報恩のために立宗宣言をされたことを述べられている。

本抄の特徴的な御文を以下に示す。
「生身の 虚空蔵菩薩 より 大智慧を 給わりし 事 ありき 
日本 第一の 智者と なし 給へと 申せし 事を 不便とや 思し食しけん 
明星の 如くなる 大宝珠を 給いて 右の 袖に うけとり 候いし 故に 
一切経を 見 候い しかば 八宗 並びに 一切経の 勝劣 粗 是を 知りぬ」
「今は よし 後を ごらんぜよ
日本国は 当時の ゆき 対馬の やうに なり 候はん ずるなり(中略)
無間地獄に 堕ちん 事 不便なり 不便 なり」

 
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