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909.
種種御振舞御書 (しゅじゅ おふるまい ごしょ) 背景と大意.

 
 
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けんじ 2ねん (1276ねん) 、にちれんだいしょうにん 55さいの おんとき、こうにちぼう(あま)に あたえられた ごしょ。
あわのくに (ちばけん)の こうにちぼうの こ、やしろうは わかくして おうしし、おっとにも さきだたれている。そのような ふこうの なか、しんじんを まっとうしたため、このような だいじな ごしょを いただいたと すいそく される。
ほんしょうは、ぶんえい 5ねんから けんじ 2ねん までの 9ねんかんの だいしょうにんの おふるまいを のべられたもので、ほっしゃくけんぽんの おすがたを とおし、ごほんぶつの おふるまいを のべられている。
ぼうとう、もうこの しゅうらいから のべられ、りっしょうあんこくろんに よげんした たこくしんぴつなんが てきちゅうしたのであるから たたえられる べきで あるのに、いよいよ はくがいを くわえ、しざい、るざいの せんぎを しているというのは どうしたことか、かれらが じごくに おちることを おもうと ふびんで ならないと しるされています。
しかし、いかなる なんが あろうと、だいしょうにんの でしとして みょうほうの ぐつうに さんかできるのは みぞうの ことであり、なんに おくする ことなく、いさんで だいしょうにんの あとに つづくよう げきれい されています。
かまくらばくふの しっけんと かまくらの 7だいじの そうらに こうじょうたいけつを せまる 11つうの しょじょうを かき おくったが ききいれられず、ぶんえい 8ねん 9がつ 12にちの たつのくちの ほうなんで、へいのさえもんのじょうに たいし 2どめの こっかかんぎょうを なされた。
とらえられた だいしょうにんは うまで たつのくちに むけて しゅっぱつ。
このとき だいしょうにんは、しじょうきんごに たいし つかいを だす。
しじょうきんごは だいしょうにんの もとに かけつけ、たつのくちに どうこうする。
たつのくちの しょけいの しゅんかん、ひかりものが しゅつげんし、やくにんらは おそれおののき しょけい できなかった。
このため ばくふは、だいしょうにんを さどにるざいする。
だいしょうにんは さどのちで 2ねんゆうよ すごされ、るざいが しゃめんされる。
ぶんえい11ねん 3がつ 26にち、かまくらに かえられた だいしょうにんは へいのさえもんのじょうに たいし 3どめの こっかかんぎょうを おこない、もうこの しゅうらいは ねんないと よげんされて みのぶに にゅうざんされた。
だいしょうにんの よげんは てきちゅうし、どうねん 10がつに もうこが らいしゅうした。
この らいしゅうは、そうばちとしての ばちであり、ほけきょうの ぎょうじゃを はくがい するものは ずはさしちぶの ばちが あると のべられ、さらに こうにちぼうの しんじんを たたえられている。



b
建治2年(1276年)、日蓮大聖人 55歳の御時、光日房(尼)に与えられた御書。
安房国(千葉県)の光日房の子、弥四郎は若くして横死し、夫にも先立たれている。
そのような不幸のなか、信心をまっとうしたため、このような大事な御書を頂いたと推察される。
本抄は、文永5年から健治2年までの9年間の大聖人のお振舞いを述べられたもので、発迹顕本の御姿を通し、御本仏のお振舞いを述べられている。
冒頭、蒙古の襲来から述べられ、立正安国論に予言した他国侵逼難が的中したのであるから、称えられるべきであるのに、いよいよ迫害を加え、死罪、流罪の詮議をしていることはどうしたことか、彼らが地獄に堕ちることを思うと不憫でならないと記されています。
しかし、いかなる難があろうと、大聖人の弟子として妙法の弘通に参加できるのは未曾有のことであり、難に臆することなく、勇んで大聖人の後に続くよう激励されています。
鎌倉幕府の執権と鎌倉の7大寺の僧らに広場対決を迫る11通の書状を書き送ったが聞き入れられず、文永8年9月12日の竜の口の法難で、平左衛門尉に対し二度目の国家諌暁をなされた。
捕らえられた大聖人は馬で竜の口に向けて出発。このとき大聖人は、四条金吾に対し使いを出す。四条金吾は大聖人のもとに駆け付け、竜の口に同行する。
竜の口の処刑の瞬間、光物が出現し、役人らは恐れおののき処刑できなかった。
このため幕府は、大聖人を佐渡に流罪する。
大聖人は佐渡の地で2年有余過ごされ、流罪が赦免される。
文永11年3月26日、鎌倉に帰られた大聖人は平左衛門尉に対し三度目の国家諌暁を行い、蒙古の襲来は年内と予言されて身延に入山された。
大聖人の予言は的中し、同年10月に蒙古が来襲した。
この来襲は、総罰として罰であり、法華経の行者を迫害する者は頭破作七分の罰があると述べられ、更に光日房の信心を称えられている。

 
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