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土木殿御返事(ときどのごへんじ) 背景と大意

 
 
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ぶんえい 8ねん(1271ねん) 9がつ 14にち、にちれんだいしょうにんが 50さいの おんとき、たつのくちの ほうなん(9がつ 12にち)の ちょくごに したためられた ごしょ。
たつのくちの ほうなんの よくじつ、とき じょうにんから だいしょうにんに おたよりが あり、その ごへんじとして あたえられた おてがみで ある。
はじめに 「ばくふが はくがいを くわえる ことは ほけきょうを しんじる けっかであり、くどくは まちがい ない」と のべられ、さいごに 「このような なんが おこることは いぜんから かくご していた ことで あり なげく ことでは ない。それより、ほけきょう ゆえに くびを きられる なんに あってこそ じょうぶつも かなう」との かくしんと ごしんきょうを のべられて いる。



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文永8年(1271年)9月14日、日蓮大聖人が50歳の御時、竜の口の法難(9月12日)の直後にしたためられた御書。竜の口の法難の翌日、富木常忍から大聖人にお便りがあり、その御返事として与えられた御手紙である。
初めに「幕府が迫害を加えることは法華経を信じる結果であり 功徳は間違いない」と述べられ、最後に「このような難が起こることは以前から覚悟していたことであり 嘆くことではない。それより、法華経ゆえに首を切られる難にあってこそ 成仏もかなう」との確信と 御心境を述べられている。

 
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