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法華行者逢難事 (ほっけぎょうじゃ ほう なんじ)
別名、法華行者値難事 (ほっけぎょうじゃ ち なんじ) 背景と大意.

 
 
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ぶんえい 11ねん(1274ねん)1がつ じゅうよっか、にちれんだいしょうにん 53さいの おんとき、さどから ときじょうにんを はじめ、もんかいちどうに あたえられた ごしょ。
ほっけぎょうじゃ ち なんじとも いう。
りゅうじゅ、てんしんが ほけきょうを ひろめず、また てんだい でんぎょうが なんみょうほうれんげきょうを とかなかったのは、しゃくそん から ふぞく されなかった ためと、じき みじゅくの ためで あると あかされている。
せんしの なんに くらべ、まっぽうの ほけきょうの ぎょうじしゃの なんは ひかくに ならない ほどの そういが あり、たとえ しんみょうに およぶ ような だいなんが おころうとも、けして たいてんしては ならないと つよく げきれい されている。



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文永11年(1274年)1月14日、日蓮大聖人53歳の御時、佐渡から富木常忍をはじめ、門下一同に与えられた御書。
法華行者値難事(ほっけぎょうじゃちなんじ)ともいう。
竜樹、天親が法華経を弘めず、また天台・伝教が南無妙法蓮華経を説かなかったのは、釈尊から付属されなかったためと、時期未熟のためであると明かされている。
先師の難に比べ、末法の法華経の行者の難は比較にならないほどの相違があり、たとえ身命に及ぶような大難が起ころうとも、決して退転してはならないと強く激励されている。

 
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