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969.
富木殿御書 (ときどの ごしょ) 背景と大意

 
 
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けんじ がんねん(1275ねん)8がつ 23にち、にちれんだいしょうにん 54さいの おんとき、ときじょうにんに あたえられた ごしょ。
べつめいを しかだんみんごしょ という。
さいしょに しょうほうひぼうの つみが もっとも おそるべきもので ある ことを のべられ、にほんが ことごとく こうぼう、じかく、ちしょうの しんごんの さんだいしを しんじているが、これらは しんず べきでないと ごしなん されている。
また、400ねんもの あいだ、こうぼうらの じゃぎを うたがうものが いなかった ことを なげかられ、さいごに「わが もんかは よるは ねむりを たち ひるは いとまを とどめて これをあんぜよ いっしょう むなしく すごして ばんさい くゆること なかれ」と、じゃぎを だんこ しゃくふく すべき ことを のべられています。



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建治元年(1275年)8月23日、日蓮大聖人 54歳の御時、富木常忍に与えられた御書。
別名を止暇断眠御書という。
最初に正法誹謗の罪が最も恐るべきものであることを述べられ、日本がことごとく弘法、慈覚、智証の真言の三大師を信じているが、これらは信ずべきでないとご指南されている。
また、400年もの間、弘法等の邪義を疑う者がいなかったことを嘆かられ、最後に「我が 門家は 夜は眠りを断ち 昼は 暇を止めて 之を案ぜよ 一生空しく過して 万歳 悔ゆること勿れ」と、邪義を断固折伏すべきことを述べられている。

 
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