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972.
観心本尊得意抄 (かんじんの ほんぞん とくいしょう) 背景と大意.

 
 
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けんじ がんねん(1275ねん)11がつ 23にち、にちれんだいしょうにん 54さいの おんとき、ときじょうにんに あたえられた ごしょ。
しもうさの そやきょうしんが、かんじんのほんぞんしょうの ごもんを わいきょくして、しゃくもんは みとくどうの おしえであるから ほうべんほんとうは よまなくて よい(しゃくもんふどく)の ぎを たてたと ほうこくした ことに たいする ごへんじである。
だいしょうにんは、そやきょうしんの あやまりを してきされ、「しゃくもんを すてよと かいたのは てんだいだいしが ひろめた しゃくもんを はしたのである」と のべられている。
また、にぜんきょうの きょうもんで あっても、ほけきょうの ほうべんで あるから じょうぶつとくどうの だいじに かんする いがいの ことで あれば いんようしても かまわないと しめされている。



b
建治元年(1275年)11月23日、日蓮大聖人 54歳の御時、富木常忍に与えられた御書。
下総の曾谷教信が、観心本尊抄の御文を歪曲して、迹門は未得道の教えであるから方便品等は読まないでよい(迹門不読)の義を立てたと報告したことに対する御返事である。
大聖人は、曾谷教信の誤り指摘され、「迹門を捨てよと書いたのは天台大師が広めた迹門を破したのである」と述べられている。
また、爾前経の経文であっても、法華経の方便であるから成仏得道の大事に関する以外のことであれば引用してもかまわないと示されている。

 
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