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995.
治病大小権実違目 (ちびょう だいしょう ごんじつ いもく)
別名、治病抄 (ちびょう しょう) 背景と大意.

 
 
a
こうあん 5ねん(1282ねん)6がつ 26にち、にちれんだいしょうにん 61さいの おんとき、ときじょうにんに あたえられた ごしょ。
やまいには みの やまいと こころの やまいとが あり、みの やまいは めいいに よって なおすことが できるが こころの やまいは ぶっぽうに よって のみ なおすことが できる。
ぶつぽうの せんしん しょうれつを ぶんるい しない しょしゅうは かえって やまいを ぞうちょう させる。
ほけきょうには しゃくもんと ほんもんの 2きょうが あるが、その ちがいは てんちの そういがある。
その そういを てんだいも でんぎょうも あきらかに していない。その りゆうは、ときが きていない、しゅじょうに きこんが ない、ほとけに ゆずられて いない からである。
いまは まっぽうの ときで あり、いまが ほんもんの みょうほうを るふする ときである。
げんざい、ぜんだいみもんの さんさいひちなんが おこっているが、これは ほけきょうの ぎょうじゃを はくがい しているから である。
この わざわいを かいけつ するには、ぶっぽうの しょうぶを けっする いがいに ないと べられている。



b
弘安5年(1282年)6月26日、日蓮大聖人 61歳の御時、富木常忍に与えられた御書。
病には身の病と心の病とがあり、身の病は名医によって治すごとができるが心の病は仏法によってのみ治すことができる。
仏法の最深勝劣を分別しない諸宗は、かえって病を増長させる。
法華経には迹門と本門の二経があるが、その違いは天地の相違がある。
その相違を天台も伝教も明らかにしていない。その理由は、時が来ていな、機根がない、仏から譲られていないからである。
今は末法の時であり、今が本門の妙法を流布する時である。
現在、前代未聞の三災七難が起っているが、これは法華経の行者を迫害しているからである。
この災いを解決するには、仏法の勝負を決する以外にないと述べられている。

 
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