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金吾殿御返事・別名、大師講御書 (だいしこう ごしょ) 背景と大意.

 
 
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ぶんえい 7ねん(1270ねん) 11がつ 28にち、にちれんだいしょうにん49さいのおんとき、おおたじょうみょうに あたえられた ごしょ。
おおたじょうみょうは、とやまけんに しょりょうの ある しもうさのくに(ちばけん)の かまくらばくふの やくにんで、ときじょうにんに しゃくぶくされて てんだい しんごんを すて、 だいしょうにんの もんかと なり、げごの にんに あたった。
はじめに はしがきがあり、しょもつが いりような ことが かかれている。
「だいしこう」とは、11月がつ にじゅうよっかに おこなわれる てんだいの ほうえの ことで ある。(6がつに おこなわれるのは でんきょうの ほうえ)
ほんぶんには、しょうほうひぼうの ゆえに くにじゅうに さいなんが おこっているので、だいしょうにん ごじしん、るざい、いざいを かくごの うえで、かまくらばくふを はじめと する しょほうめんを つよく しゃくぶく された ことが のべられている。



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文永7年(1270年)11月28日、日蓮大聖人 49歳の御時、大田乗明に与えられた御書。
大田乗明は富山県に所領のある下総国(千葉県)の鎌倉幕府の役人で、富木常忍に折伏されて天台真言を捨て、大聖人の門下となり外護の任に当たった。
初めにはしがきがあり、書物が入用なことが書かれている。「大師講」とは、11月24日に行われる天台の法会のことである。(6月に行われるのは伝教の法会)
本文には、正法誹謗のゆえに国中に災難が起こっているので、大聖人御自身、流罪、死罪を覚悟のうえで、鎌倉幕府を始めとする諸方面を強く折伏されたことが述べられている。

 
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