b1021から1023.
三大秘法稟承事 (さんだいひほう ぼんじょうのこと).
日蓮大聖人 61歳 御作.

 

b1021

さんだいひほう ぼんじょうのこと.
三大秘法 禀承事.

こうあん 4ねん しがつ 61さい おんさく.
弘安 四年 四月 六十一歳 御作.

あたう おおたきんご.
与 大田金吾.

それ ほけきょうの だいしちじんりきほんに いわく.
夫れ 法華経の 第七神力品に 云く.

「ようを もって これを いわば にょらいの いっさいの しょゆうの ほう.
「要を 以て 之を 言ば 如来の 一切の 所有の 法.

にょらいの いっさいの じざいの じんりき にょらいの いっさいの ひようの ぞう.
如来の 一切の 自在の 神力 如来の 一切の 秘要の 蔵.

にょらいの いっさいの じんじんの じ.
如来の 一切の 甚深の 事.

みな この きょうに おいて せんじ けんぜつ す」とう うんぬん.
皆 此 経に 於て 宣示 顕説 す」等 云云.

しゃくに いわく「きょうちゅうの ようせつの よう しじに あり」とう うんぬん.
釈に 云く「経中の 要説の 要 四事に 在り」等 云云.

とう しょせつの ようげんの ほうとは なにものぞや.
問う 所説の 要言の 法とは 何物ぞや.

こたえて いわく それ しゃくそん しょじょうどうより しみさんきょう.
答て 云く 夫れ 釈尊 初成道 より 四味三教.

ないし ほけきょうの こうかい さんけん いちの せきを たちて.
乃至 法華経の 広開 三顕 一の 席を 立ちて.

りゃっかいごんけんのんを とかせ たまいし ゆじゅっぽんまで ひせさせ たまいし.
略開近顕遠を 説かせ 給いし 涌出品まで 秘せさせ 給いし.

じっしょうしょうとくの そのかみ しゅぎょうし たまいし ところの.
実相証得の 当初 修行し 給いし 処の.

じゅりょうほんの ほんぞんと かいだんと だいもくの ごじ なり.
寿量品の 本尊と 戒壇と 題目の 五字 なり.

きょうしゅしゃくそんの ひほうをば さんぜに かくれ なき ふげんもんじゅ とうにも ゆずり たまわず.
教主釈尊此の 秘法をば 三世に 隠れ 無き 普賢文殊 等にも 譲り 給はず.

いわんや その いげおや.
況や 其の 以下をや.

されば この ひほうを とかせ たまいし ぎしきは.
されば 此の 秘法を 説かせ 給いし 儀式は.

しみさんきょう ならびに ほけきょうの しゃくもん 14ほんに ことなりき.
四味三教 並に 法華経の 迹門 十四品に 異なりき.

しょごの どは じゃっこうほんぬの こくど なり.
所居の 土は 寂光本有の 国土 なり.

のうごの きょうしゅは ほんぬむさの さんじん なり.
能居の 教主は 本有無作の 三身 なり.

しょけ もって どうたい なり.
所化 以て 同体 なり.

かかる みぎりなれば くおんしょうようの ほんけんぞく じょうぎょう とうの しぼさつを.
かかる 砌なれば 久遠称揚の 本眷属・ 上行 等の 四菩薩を.

じゃっこうの だいちの そこより はるばると めし いだして ふぞくし たもう.
寂光の 大地の 底より はるばると 召し 出して 付属し 給う.

どうせんりっし いわく.
道暹律師 云く.

「ほう これ くじょうの ほうなるに よる ゆえに くおんの ひとに ふす」とう うんぬん.
「法 是れ 久成の 法なるに 由る 故に 久成の 人に 付す」等 云云.

とうて いわく その しょぞくの ほうもん ほとけの めつごに おいては.
問て 云く 其の 所属の 法門 仏の 滅後に 於ては.

いずれの ときに ぐつうし たもうべきか.
何れの 時に 弘通し 給う可きか.

こたえて いわく きょうの だいしちやくおうほんに いわく.
答て 云く 経の 第七薬王品に 云く.

「ごの ごひゃくさいの なかに えんぶだいに こうせんるふして だんぜつ せしむること なけん」とう うんぬん.
「後の 五百歳の 中に 閻浮提に 広宣流布して 断絶 せしむること 無けん」等 云云.

つつしんで きょうもんを はいけんし たてまつるに.
謹んで 経文を 拝見し 奉るに.

ほとけの めつご しょうぞう 2000ねん すぎて 500さい.
仏の 滅後 正像 二千年過ぎて 第五の 五百歳・.

とうじょうけんご びゃくほうおんもつの とき うんぬん.
闘諍堅固・ 白法隠没の 時 云云.

とうて いわく それ しょぶつの じひは てんげつの ごとし.
問て 云く 夫れ 諸仏の 慈悲は 天月の 如し.

きえんの みず すめば りしょうの かげを あまねく ばんきの みずに うつし たもうべき ところに.
機縁の 水 澄めば 利生の 影を 普く 万機の 水に 移し 給べき 処に.

しょうぞうまつの さんじの なかに まっぽうに かぎると とき たまわば.
正像末の 三時の 中に 末法に 限ると 説き 給わば.

きょうしゅしゃくそんの じひに おいて へんぱ あるに にたり いかん.
教主釈尊の 慈悲に 於て 偏頗 あるに 似たり 如何.

こたう しょぶつの わこう りもつの げつえいは きゅうほうかいの やみを てらすと いえども.
答う 諸仏の 和光・ 利物の 月影は 九法界の 闇を 照すと 雖も.

ほうぼう いっせんだいの じょくすいには かげを うつさず.
謗法 一闡提の 濁水には 影を 移さず.

しょうほう いっせんねんの きの まえには ただ しょうじょう ごんだいじょう あいかなえり.
正法 一千年の 機の 前には 唯 小乗・ 権大乗 相叶へり.

ぞうほう いっせんねんには ほけきょうの しゃくもん きかんそうおう せり.
像法 一千年には 法華経の 迹門 機感相応 せり.

まっぽうの はじめの 500ねんには ほけきょうの ほんもん ぜんご 13ほんを おきて.
末法の 始の 五百年には 法華経の 本門・ 前後 十三品を 置きて.

ただ じゅりょうほんの いっぽんを ぐつうすべき ときなり.
只 寿量品の 一品を 弘通すべき 時なり.

きほう そうおうせり.
機法 相応せり.

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いま この ほんもん じゅりょうの いっぽんは ぞうほうの ごの 500さい.
今 此の 本門 寿量の 一品は 像法の 後の 五百歳・.

き なお たえず いわんや はじめの 500ねんをや.
機 尚 堪えず 況や 始めの 五百年をや.

いかに いわんや しょうほうの きは しゃくもん.
何に 況や 正法の 機は 迹門.

なお ひ あさし まして ほんもんおや.
尚 日 浅し 増して 本門をや.

まっぽうに いって にぜんしゃくもんは まったく しゅつりしょうじの ほうに あらず.
末法に 入て 爾前迹門は 全く 出離生死の 法に あらず.

ただ もっぱら ほんもん じゅりょうの いっぽんに かぎりて しゅつりしょうじの ようほう なり.
但 専ら 本門 寿量の 一品に 限りて 出離生死の 要法 なり.

これを もって おもうに しょほうの けどうに おいて まったく へんぱ なし とう うんぬん.
是を 以て 思うに 諸仏の 化導に 於て 全く 偏頗 無し 等 云云.

とう ほとけの めつご しょうぞうまつの さんじに おいて.
問う 仏の 滅後 正像末の 三時に 於て.

ほんげ しゃっけの おのおのの ふぞく ふんみょう なり.
本化・ 迹化の 各各の 付属 分明 なり.

ただ じゅりょうの いっぽんに かぎりて.
但 寿量の 一品に 限りて.

まっぽうじょくあくの しゅじょうの ためなりと いえる きょうもん いまだ ふんみょうならず.
末法濁悪の 衆生の 為なりと いへる 経文 未だ 分明ならず.

たしかに きょうの げんもんを きかんと ほっす いかん.
慥に 経の 現文を 聞かんと 欲す 如何.

こたう なんじ あながちに これを とう.
答う 汝 強ちに 之を 問う.

きいて のち かたく しんを とる べきなり.
聞て 後 堅く 信を 取る 可きなり.

いわゆる じゅりょうほんに いわく.
所謂 寿量品に 云く.

「この よき りょうやくを いま どどめて ここに おく.
「是の 好き 良薬を 今 留めて 此に 在く.

なんじ とって ふくすべし いえじと うれうる なかれ」とう うんぬん.
汝 取て 服す可し 差じと 憂うる 勿れ」等 云云.

とうて いわく じゅりょうほん もっぱら まっぽうあくせに かぎる きょうもん けんねんなる うえは.
問て 云く 寿量品 専ら 末法悪世に 限る 経文 顕然なる 上は.

わたくしに なんぜいを くわうべからず.
私に 難勢を 加う可らず.

しかりと いえども さんだいひほう その たい いかん.
然りと 雖も 三大秘法 其の 体 如何.

こたえて いわく よが こしんの だいじ これに しかず.
答て 云く 予が 己心の 大事 之に 如かず.

なんじが こころざし むに なれば すこし これを いわん.
汝が 志 無二 なれば 少し 之 を云わん.

じゅりょうほんに こんりゅうする ところの ほんぞんは 500じんてんの とうしょ より いらい.
寿量品に 建立する 所の 本尊は 五百塵点の 当初 より 以来.

しどうえんじん じんこうほんぬ むささんじの きょうしゅ しゃくそん これなり.
此土有縁 深厚本有 無作三身の 教主釈尊 是れなり.

じゅりょうほんに いわく「「にょらい ひみつ じんつうのちから」とう うんぬん.
寿量品に 云く「如来 秘密 神通之力」等 云云.

しょの 9に いわく 「いっしんそくさんじん なるを なづけて ひと なし.
疏の 九に 云く「一身即三身 なるを 名けて 秘と 為し.

さんじんそくいっしん なるを なづけて みつと なす.
三身即一身 なるを 名けて 密と 為す.

また むかしより とかざる ところを なづけて ひと なし.
又 昔より 説かざる 所を 名けて 秘と 為し.

ただ ほとけのみ みずから しるを なづけて みつと なす.
唯 仏のみ 自ら 知るを 名けて 密と 為す.

ほとけ さんぜに おいて ひとしく さんじん あり.
仏 三世に 於て 等しく 三身 有り.

しょきょうの なかに おいて つたえず」とう うんぬん.
諸教の 中に 於て 之を 秘して 伝えず」等 云云.

だいもくとは ふたつの こころ あり.
題目とは 二の 意 有り.

いわゆる しょうぞうと まっぽうと なり.
所謂 正像と 末法と なり.

しょうほうには てんじんぼさつ りゅうじゅぼさつ だいもくを となえさせ たまいしかども.
正法には 天親菩薩・ 竜樹菩薩・ 題目を 唱えさせ 給いしかども.

じぎょう ばかりにして さて やみぬ.
自行 ばかりにして さて 止ぬ.

ぞうほうには なんがくてんだいとう なお なんみょうほうれんげきょうと となえ たまいて.
像法には 南岳天台 等 亦 南無妙法蓮華経と 唱え 給いて.

じぎょうの ためにして ひろく たの ために とかず.
自行の 為にして 広く 他の 為に 説かず.

これ りぎょうの だいもく なり.
是れ 理行の 題目 なり.

まっぽうに いって いま にちれんが となえる ところの だいもくは ぜんだいに ことなり.
末法に 入て 今 日蓮が 唱る 所の 題目は 前代に 異り.

じぎょうけたに わたりて なんみょうほうれんげきょう なり.
自行化他に 亘りて 南無妙法蓮華経 なり.

みょうたいしゅうようきょうの ごじゅうげんの 5じ なり.
名体宗用教の 五重玄の 五字 なり.

かいだんとは おうほう ぶっぽうに みょうじ ぶっぽう おうほうに がっして.
戒壇とは 王法 仏法に 冥じ 仏法 王法に 合して.

おうしん いちどうに ほんもんの さんひみつの ほうを たもちて.
王臣 一同に 本門の 三秘密の 法を 持ちて.

うとくおう かくとくびくの その むかしを まっぽうじょくあくの みらいに うつさん とき.
有徳王・ 覚徳比丘の 其の 乃往を 末法濁悪の 未来に 移さん 時.

ちょくせん ならびに みぎょうしょを もうし くだして.
勅宣 並に 御教書を 申し 下して.

りょうぜんじょうどに にたらん さいしょうの ちを たずねて.
霊山浄土に 似たらん 最勝の 地を 尋ねて.

かいだんを こんりゅう すべきものか.
戒壇を 建立す 可き者か.

ときを まつ べきのみ じの かいほうと もうすは これなり.
時を 待つ 可きのみ 事の 戒法と 申すは 是なり.

さんごく ならびに いちえんぶだいの ひと ざんげ めつざいの かいほう のみならず.
三国 並に 一閻浮提の 人・ 懺悔 滅罪の 戒法 のみならず.

だいぼんてんのう たいしゃく とうも らいげして ふみ たもうべき かいだん なり.
大梵天王・ 帝釈 等も 来下して フミ給うべき 戒壇 なり.

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この かいほう たちて のち えんりゃくじの かいだんは.
此の 戒法 立ちて 後・ 延暦寺の 戒壇は.

しゃくもんの り かいなれば やく あるまじき ところに.
迹門の 理 戒なれば 益 あるまじき 処に.

えいざんの ざす はじまって だい3だい4の じかく ちしょう ぞんの ほかに.
叡山に 座主 始まつて 第三・ 第四の 慈覚・ 智証・ 存の 外に.

ほんし でんきょう ぎしんに そむきて りどうじしょうの きょうげんを ほんとして.
本師 伝教・ 義真に 背きて 理同事勝の 狂言を 本として.

わが やまの かいほうを あなずり けろんと わらいし ゆえに.
我が 山の 戒法を あなづり 戯論と わらいし 故に.

ぞんの ほかに えんりゃくじの かい せんじょうむぜんの ちゅうどうの みょうかい なりしが.
存の 外に 延暦寺の 戒・ 清浄無染の 中道の 妙戒 なりしが.

いたずらに どでいと なりぬる こと いうても あまりあり なげきても なにかはせん.
徒に 土泥と なりぬる 事 云うても 余りあり 歎きても 何かはせん.

かの まりせんの がりゃくの つちと なり.
彼の 摩黎山の 瓦礫の 土と なり.

せんだんりんの いばらと なるにも すぎたる なるべし.
栴檀林の イバラと なるにも 過ぎたる なるべし.

それ いちだいせいきょうの じゃしょう へんえんを わきまえたらん がくしゃの ひとをして.
夫れ 一代聖教の 邪正 偏円を 弁えたらん 学者の 人をして.

いまの えんりゃくじの かいだんを ふましむべきや.
今の 延暦寺の 戒壇を フましむべきや.

この ほうもんは ぎりを あんじて ぎを つまびらかにせよ.
此の 法門は 義理を 案じて 義を つまびらかにせよ.

この さんだいひほうは 2000よねんの とうしょ じゆ せんがいの じょうしゅとして.
此の 三大秘法は 二千余年の 当初・ 地涌 千界の 上首として.

にちれん たしかに きょうしゅ だいかくせそんより ぐけつそうじょう せしなり.
日蓮 慥かに 教主 大覚世尊より 口決相承 せしなり.

いま にちれんが しょぎょうは りょうじゅせんの ぼんじょうに けに ばかりの そうい なき.
今 日蓮が 所行は 霊鷲山の 禀承に 芥爾 計りの 相違 なき.

いろも かわらぬ じゅりょうほんの じの さんだいじ なり.
色も 替らぬ 寿量品の 事の 三大事 なり.

とう いちねんさんぜんの ただしき しょうもん いかん.
問う 一念三千の 正しき 証文 如何.

こたう つぎに いだし もうすべし これに おいて にしゅ あり.
答う 次に 出し 申す可し 此に 於て 二種 有り.

ほうべんぽんに いわく.
方便品に 云く.

しょほうじっそう しょいしょほう  にょぜそう ないし よくりょうしゅじょう かいぶつちけん」とう うんぬん.
「諸法実相・ 所謂諸法・ 如是相・ 乃至 欲令衆生 開仏知見」等 云云.

ていげの ぼんぷ りしょう しょぐの いちねんさんぜんか.
底下の 凡夫・ 理性 所具の 一念三千か.

じゅりょうほんに いわく「ねんがじつじょうぶついらい むりょうむへん」とう うんぬん.
寿量品に 云く「然我実成仏已来・ 無量無辺」等 云云.

がいかくせそん くおんじつじょうの そのかみ しょうとくの いちねんさんぜん なり.
大覚世尊・ 久遠実成の 当初 証得の 一念三千 なり.

いま にちれんが ときに かんじて この ほうもん こうせんるふ するなり.
今 日蓮が 時に 感じて 此の 法門 広宣流布 するなり.

よ としごろ こしんに ひすと いえども この ほうもんを かきつけて とどめ おかずんば.
予 年来 己心に 秘すと 雖も 此の 法門を 書き付て 留め 置ずんば.

もんけの ゆいていら さだめて むじひの ざんげんを くわうべし.
門家の 遺弟等 定めて 無慈悲の 讒言を 加う可し.

そのごは なんと くゆとも かのうまじきと ぞんずる あいだ.
其の 後は 何と 悔ゆとも 叶うまじきと 存ずる 間.

きへんに たいし かきおくり そうろう.
貴辺に 対し 書き送り 候.

いっけんの のち ひして たけん あるべからず こうがいも せんなし.
一見の 後 秘して 他見 有る可からず 口外も 詮無し.

ほけきょうを しょぶつ しゅっせの いちだいじと とかせ たまいて そうろうは.
法華経を 諸仏 出世の 一大事と 説かせ 給いて 候は.

この さんだいひほうを ふくめたる きょうにて わたらせ たまえば なり.
此の 三大秘法を 含めたる 経にて 渡らせ 給えば なり.

ひすべし ひすべし.
秘す可し 秘す可し.

こうあん 5ねん うづき ようか.
弘安 五年 卯月 八日.

にちれん かおう.
日蓮 花押 .

おおたきんごどの ごへんじ.
大田金吾殿 御返事.

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