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曾谷入道殿御返事 (そやにゅうどうどの ごへんじ)
別名、如是我聞事 (にょぜがもんの こと).
日蓮大 聖人 56歳 御作.

 

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そやにゅうどうどの ごへんじ.
曾谷入道殿 御返事.

けんじ 3ねん 56さい おんさく.
建治 三年 五十六歳 御作.

みょうほうれんげきょう 1ぶ 1かん しょうじきょう ごくようの ために.
妙法蓮華経 一部 一巻 小字経 御供養の ために.

おんふせに こそで ふたえ がもく 10かん ならびに おおぎ 100ぽん.
御布施に 小袖 二重・ 鵞目 十貫・ 並びに 扇百本、.

もんぐの 1に いわく.
文句の 一に 云く.

にょぜ とは しょもんの ほったいを あぐ」と.
「如是 とは 所聞の 法体を 挙ぐ」と.

きの 1に いわく.
記の 一に 云く.

「もし ちょう8の にょぜに あらずんば いずくんぞ この きょうの しょもんと なさん」と うんぬん.
「若し 超八の 如是に 非ずんば 安ぞ 此の 経の 所聞と 為さん」と 云云、.

けごんきょうの だいに いわく.
華厳経の 題に 云く.

「だいほうこうぶつけごんきょう にょぜがもん」うんぬん.
「大方広仏華厳経・ 如是我聞」云云、.

「まかはんにゃはらみつきょう にょぜがもん」うんぬん.
「摩訶般若波羅蜜経・ 如是我聞」云云、.

だいにちきょうの だいに いわく.
大日経の 題に 云く.

「だいびるしゃな しんぺんかじきょう にょぜがもん」うんぬん.
「大毘盧遮那・ 神変加持経・ 如是我聞」云云、.

いっさいきょうの にょぜとは いかなる にょぜぞやと たずぬれば.
一切経の 如是は 何なる 如是ぞやと 尋ぬれば.

かみの だいもくを さして にょぜとは もうすなり.
上の 題目を 指して 如是とは 申すなり、.

ほとけ いずれの きょうにても とかせ たまいし その しょせんの りを さして だいもくとは せさせ たまいしを.
仏 何の 経にても・ とかせ 給いし 其の 所詮の 理を さして 題目とは せさせ 給いしを、.

あなん もんじゅ こんごうしゅ とう めつごに しゅうけつ したまいし とき.
阿難・ 文殊・ 金剛手 等・ 滅後に 結集し 給いし 時.

だいもくを うち おいて にょぜがもんと もうせしなり.
題目を 打ち 置いて 如是我聞と 申せしなり、.

いっきょうの うちの かんじんは だいもくに おさまれり.
一経の 内の 肝心は 題目に おさまれり.

れいせば てんじゅくと もうす くに あり.
例せば 天竺と 申す 国 あり.

9まんり 70かこく なり.
九万里・ 七十箇国 なり.

しかれども その なかの じんちく そうもく さんが だいち.
然れども 其 中の 人畜・ 草木・ 山河・ 大地・.

みな がっしと もうす 2じの うちに れきれきたり.
皆 月氏と 申す 二字の 内に れきれきたり、.

たとえば いちしてんげの うちに ししゅう あり.
譬えば 一四天下の 内に 四洲 あり.

この なかの いっさいの ばんぶつは つきに うつりて すこしも かくるる ことなし.
其の 中の 一切の 万物は 月に 移りて すこしも かくるる 事なし、.

きょうも またかくの ごとく この きょうの なかの ほうもんは その きょうの だいもくの なかに あり.
経も 又 是くの 如く 其の 経の 中の 法門は 其の 経の 題目の 中に あり、.

あごんきょうの だいもくは いっきょうの しょせん むじょうの りを おさめたり.
阿含経の 題目は 一経の 所詮・ 無常の 理を おさめたり、.

げどうの きょうの だいもくの あうの 2じに すぐれたる こと ひゃくせんまんばい なり.
外道の 経の 題目の あうの 二字に すぐれたる 事 百千万倍 なり、.

95しゅの げどう あごんきょうの だいもくを きいて.
九十五種の 外道・ 阿含経の 題目を 聞いて.

みな じゃしゅうを たおし むじょうの せいろに おもむきぬ.
みな 邪執を 倒し 無常の 正路に おもむきぬ、.

はんにゃきょうの だいもくを きいては たいくう たんちゅう ふたんちゅうの ほうもんを さとり.
般若経の 題目を 聞いては 体空・ 但中・ 不但中の 法門を さとり.

けごんきょうの だいもくを きく ひとは たんちゅう ふたんちゅうの さとり あり.
華厳経の 題目を 聞く 人は 但中・ 不但中の さとり あり、.

だいにちきょう ほうとう はんにゃきょうの だいもくを きく ひとは.
大日経・ 方等・ 般若経の 題目を 聞く 人は.

あるいは たんくう あるいは たいくう あるいは たんくう あるいは ふたんくう あるいは たんちゅう ふたんちゅうの りをば さとれども.
或は 折空・ 或は 体空・ 或は 但空 或は 不但空・ 或は 但中・ 不但中の 理をば さとれども.

いまだ じっかいごぐ ひゃっかいせんにょ さんぜんせけんの みょうかくの くどくをば きかず.
いまだ 十界互具・ 百界千如・ 三千世間の 妙覚の 功徳をば きかず、.

その せんを とかざれば ほけきょう より ほかは りそくの ぼんぷ なり.
その 詮を 説かざれば 法華経 より 外は 理即の 凡夫 なり、.

かの きょうぎょうの ほとけ ぼさつは いまだ ほけきょうの みょうじそくに およばず.
彼の 経経の 仏・ 菩薩は いまだ 法華経の 名字即に 及ばず.

いかに いわんや だいもくをも となえ ざれば かんぎょうそくに いたる べしや.
何に 況や 題目をも 唱へざれば 観行即に いたる べしや、.

ゆえに みょうらくだいしの きに いわく.
故に 妙楽大師の 記に 云く.

もし ちょう8の にょぜに あらずんば いずくんぞ この きょうの しょもんと なさん」うんぬん.
「若し 超八の 如是に 非ずんば 安んぞ 此の 経の 所聞と 為さん」云云、.

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かれがれの しょきょうの だいもくは はっきょうの うち なり.
彼彼の 諸経の 題目は 八教の 内 なり.

もうもくの ごとし.
網目の 如し、.

この きょうの だいもくは はっきょうの もうもくに こえて たいこうと もうす ものなり.
此の 経の 題目は 八教の 網目に 超えて 大綱と 申す 物なり、.

いま みょうほうれんげきょうと もうす ひとびとは その こころを しらざれども.
今 妙法蓮華経と 申す 人人は その 心を しらざれども.

ほけきょうの こころを うる のみならず いちだいの たいこうを さとり たまえり.
法華経の 心を うる のみならず 一代の 大綱を 覚り 給へり、.

れいせば 1 2 3さいの たいし くらいに つき たまいぬれば.
例せば 一 二 三歳の 太子・ 位に つき 給いぬれば.

くには わが しょりょう なり.
国は 我が 所領 なり.

せっしょう かんぱく いかは わが しょじゅう なりと はしらせ たまわねども.
摂政・ 関白 已下は 我が 所従 なりと はしらせ 給はねども、.

なにも この たいしの もの なり.
なにも 此の 太子の 物 なり、.

たとえば しょうには ふんべつの こころ なけれども.
譬えば 小児は 分別の 心 なけれども.

ひぼの ちちを くちに のみぬれば しぜんに せいちょう するを.
悲母の 乳を 口に のみぬれば 自然に 生長 するを.

ちょうこうが ように こころ おごれる しんか ありて たいしを あなづれば みを ほろぼす.
趙高が 様に 心 おごれる 臣下 ありて 太子を あなづれば 身を ほろぼす、.

しょきょうしょしゅうの がくしゃら ほけきょうの だいもく ばかりを となうる たいしを あなずりて.
諸経・ 諸宗の 学者等・ 法華経の 題目 ばかりを 唱うる 太子を あなづりて.

ちょうこうが ごとくして むけんじごくに おつるなり.
趙高が 如くして 無間地獄に 堕つるなり、.

また ほけきょうの ぎょうじゃの こころも しらず.
又 法華経の 行者の 心も しらず.

だいもく ばかりを となうるが しょしゅうの ちしゃに おどされて たいしんを おこすは.
題目 計りを 唱うるが 諸宗の 智者に おどされて 退心を おこすは.

こがいと もうせし たいしが ちょうこうに おどされて ころされしが ごとし.
こがいと 申せし 太子が 趙高に おどされ・ ころされしが 如し。.

なんみょうほうれんげきょうと もうすは いちだいの かんじん たる のみならず.
南無妙法蓮華経と 申すは 一代の 肝心 たる のみならず.

ほけきょうの こころ なり たい なり しょせん なり.
法華経の 心なり 体なり 所詮 なり、.

かかる いみじき ほうもん なれども ほとけ めつご 2220よねんの あいだ.
かかる いみじき 法門 なれども 仏 滅後・ 二千二百二十余年の 間・.

がっしに ふほうぞうの 24にん ぐつうし たまわず.
月氏に 付法蔵の 二十四人 弘通し 給はず、.

かんどの てんだい みょうらくも るふし たまわず.
漢土の 天台 妙楽も 流布し 給はず、.

にほんこくには しょうとくたいし でんぎょうだいしも せんぜつし たまわず.
日本国には 聖徳太子・ 伝教大師も 宣説し 給はず、.

されば わほっしが もうすは ひがごとにて こそ あるらめと しょにん うたがいて しんぜず.
されば 和法師が 申すは 僻事にて こそ 有るらめと 諸人 疑いて 信ぜず.

これ また だいいちの どうり なり.
是れ 又 第一の 道理 なり、.

たとえば しょうくん なんどを あやしの つわもの なんどが おかし たてまつるを.
譬えば 昭君 なんどを あやしの 兵 なんどが・ おかし たてまつるを・.

みな ひと よも さわ あらじと おもえり.
みな 人 よも・ さは あらじと 思へり、.

だいじんくぎょう なんどの ようなる てんだい でんぎょうの ぐつう なからん ほけきょうの かんじん.
大臣公卿 なんどの 様なる 天台・ 伝教の 弘通 なからん 法華経の 肝心・.

なんみょうほうれんげきょうを わほっし ほどの ものが いかで となうべしと うんぬん.
南無妙法蓮華経を 和法師 程の ものが いかで 唱うべしと 云云、.

なんじら これを しるや.
汝等 是を 知るや.

からすと もうす とりは むげの げすちょう なれども .
烏と 申す 鳥は 無下の げす鳥 なれども.

わし くまたかの しらざる ねんじゅうの きっきょうを しれり.
鷲 クマタカの 知らざる 年中の 吉凶を 知れり、.

へびと もうす むしは りゅうぞうに およばずとも なのかの あいだの こうずいを しるぞかし.
蛇と 申す 虫は 竜象に 及ばずとも 七日の 間の 洪水を 知るぞかし、.

たとい りゅうじゅ てんだいの しり たまわざる ほうもん なりとも.
設い 竜樹 天台の 知り 給はざる 法門 なりとも.

きょうもん けんねん ならば なにをか うたがわせ たまうべき.
経文 顕然 ならば なにをか 疑はせ 給うべき、.

にちれんを いやしみて なんみょうほうれんげきょうを となえ させ たまわぬは.
日蓮を いやしみて 南無妙法蓮華経と 唱え させ 給はぬは.

しょうにが ちちを うたがいて なめず.
小児が 乳を うたがふて・ なめず.

びょうにんが いしを うたがいて くすりを ふくせざるが ごとし.
病人が 医師を 疑いて 薬を 服せざるが 如し、.

りゅうじゅ てんじんらは これを しり たまえども.
竜樹・ 天親等は 是を 知り 給へども.

とき なく き なければ ぐつう したまわざるか.
時 なく 機 なければ 弘通し 給わざるか、.

よにんは また しらずして せんでん せざるか.
余人は 又 しらずして 宣伝 せざるか、.

ぶっぽうは ときに より きに よりて ひろまる こと なれば.
仏法は 時に より 機に よりて 弘まる 事 なれば.

いうに かいなき にちれんが ときに こそ あたりて そうらめ.
云うに かひなき 日蓮が 時に こそ あたりて 候らめ。.

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しょせん みょうほうれんげきょうの 5じをば とうじの ひとびとは なと ばかり おもえり.
所詮 妙法蓮華経の 五字をば 当時の 人人は 名と 計りと 思へり、.

さにては そうらわず たい なり たいとは こころにて そうろう.
さにては 候はず 体 なり 体とは 心にて 候、.

しょうあん いわく.
章安 云く.

「けだし じょおうは きょうの げんいを じょし げんいは もんの こころを じゅっす」と うんぬん.
「蓋し 序王は 経の 玄意を 叙し 玄意は 文の 心を 述す」と 云云、.

この しゃくの こころは みょうほうれんげきょうと もうすは もんに あらず ぎに あらず.
此の 釈の 心は 妙法蓮華経と 申すは 文に あらず 義に あらず.

いっきょうの こころ なりと しゃくせられて そうろう.
一経の 心 なりと 釈せられて 候、.

されば だいもくを はなれて ほけきょうの こころを たずぬる ものは.
されば 題目を はなれて 法華経の 心を 尋ぬる 者は.

さるを はなれて きもを たずねし はかなき かめ なり.
猿を はなれて 肝を たづねし・ はかなき 亀 なり、.

さんりんを すてて このみを たいかいの へんに もとめし えんこう なり.
山林を すてて 菓を 大海の 辺に もとめし エン猴 なり、.

はかなし はかなし.
はかなし はかなし。.

けんじ 3ねん ひのとうし しもつき 28にち.
建治 三年 丁丑 霜月 二十八日.

にちれん かおう.
日蓮 花押 .

そやじろう にゅうどうどの.
曾谷次郎 入道殿.

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