c
1057から1059.
曾谷入道殿御返事 (そやにゅうどうどの ごへんじ)
別名、如是我聞事 (にょぜがもんの こと) 背景と大意.

 
 
a
けんじ3ねん(1277ねん)11がつ 28にち、にちれんだいしょうにん 56さいの おんとき、そやきょうしんに あたえられた ごしょ。
そやきょうしんが しょしゃした ほけきょうの かいがんの ため、しゅじゅの くようを さしあげた ことに たいする へんしょ。
ぼうとう、にょぜがもんに ついて のべられ、にょぜとは なんみょうほうれんげきょうに ほかならない、なんみょうほうれんげきょうは ほけきょうの こころ であり、からだ であり、ほとけ めつご、このことを がっし、かんどに とく ひとは いなかった。
はじめて といた だいしょうにんを いやしむのは おろかな ことであると のべられている。



b
建治3年(1277年)11月28日、日蓮大聖人56歳の御時、曾谷教信に与えられた御書。
曾谷教信が書写した法華経の開眼のため種々の供養を差し上げたことに対する返書。
冒頭、如是我聞について述べられ、如是とは南無妙法蓮華経に他ならない、南無妙法蓮華経は法華経の心であり、体であり、仏滅後、このことを月氏、漢土に説く人はいなかった。
初めて説いた大聖人を癒しむのは愚かなことであると述べられている。

 
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