b1210から1211.
寿量品得意抄 (じゅりょうほん とくいしょう).
日蓮大聖人 50歳 御作.

 

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じゅりょうほん とくいしょう.
寿量品 得意抄.

ぶんえい 8ねん 4がつ 50さい おんさく.
文永 八年 四月 五十歳 御作.

きょうしゅ しゃくそん じゅりょうほんを とき たもうに にぜんしゃくもんの ききを あげて いわく.
教主 釈尊 寿量品を 説き 給うに 爾前迹門の ききを あげて 云く.

「いっさいせけんの てんにん および しゅらは みな.
「一切世間の 天人 及び 阿修羅は 皆.

いまの しゃかむにぶつは しゃしの みやを いでて がやじょうを さること とおからず.
今の 釈迦牟尼仏は 釈氏の 宮を 出でて 伽耶城を 去ること 遠からず.

どうじょうに ざして あのくたらさんみゃくさんぼだいを えたりと おもえり」うんぬん.
道場に 坐して 阿耨多羅三藐三菩提を 得たりと 謂えり」云云.

この もんの いは はじめ けごんきょう より おわり ほけきょう あんらくぎょうほんに いたるまで.
此の 文の 意は 初め 華厳経 より 終り 法華経・ 安楽行品に 至るまで.

いっさいの ほとけの みでし だいぼさつ とうの しる ところの おもいの しんちゅうを あげたり.
一切の 仏の 御弟子・ 大菩薩 等の 知る 処の 思いの 心中を あげたり.

にぜんの きょうに ふたつの とが あり.
爾前の 経に 二つの 失 あり.

いちには「ぎょうふを そんする ゆえに なお いまだ ごんを かいせず」と もうして.
一には「行布を 存する 故に 仍 未だ 権を 開せず」と 申して.

しゃくもん ほうべんほんの じゅうにょぜの いちねんさんぜん.
迹門 方便品の 十如是の 一念三千・.

かいごんけんじつ にじょうさぶつの ほうもんを とかざる とが なり.
開権顕実・ 二乗作仏の 法門を 説かざる 過 なり.

2には「しじょうを いう ゆえに なお いまだ しゃくを はらわず」と もうして.
二には「始成を 言う 故に 尚 未だ 迹を 発わず」と 申して.

くおんじつじょうの じゅりょうほんを とかざる とが なり.
久遠実成の 寿量品を 説かざる 過 なり.

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この ふたつの だいほうは いちだい せいきょうの こうこつ いっさいきょうの しんずい なり.
此の 二つの 大法は 一代聖教の 綱骨・ 一切経の 心髄 なり.

しゃくもんには にじょうさぶつを といて 40よねんの ふたつの とが ひとつを だっしたり.
迹門には 二乗作仏を 説いて 四十余年の 二つの 失・ 一つを 脱したり.

しかりと いえども いまだ じゅりょうほんを とかざれば じつの いちねんさんぜんも あらわれず.
然りと 雖も 未だ 寿量品を 説かざれば 実の 一念三千も あらはれず.

にじょうさぶつも さだまらず.
二乗作仏も 定まらず.

みずに やどる つきの ごとく ねなし ぐさの なみの うえに うかべるに ことならず.
水に やどる 月の 如く 根無し 草の 浪の 上に 浮べるに 異ならず.

また いわく「しかるに ぜんなんし われ じつに じょうぶつして より このかた.
又 云く「然るに 善男子 我 実に 成仏して より 已来.

むりょうむへん ひゃくせんまんおくなゆたこう」とう うんぬん.
無量無辺 百千万億那由佗劫」等 云云.

この もんの こころは けごんきょうの しじょうしょうかくと もうして.
此の 文の 心は 華厳経の 始成正覚と 申して. 

はじめて ほとけに なると とき たもう あごんきょうの しょじょうどう.
始て 仏に なると 説き 給ふ 阿含経の 初成道.

じょうみょうきょうの しざぶつじゅ だいしっきょうの はじめ 16ねん.
浄名経の 始坐仏樹・ 大集経の 始 十六年.

だいにちきょうの がしゃくざどうじょう にんのうきょうの 29ねん.
大日経の 我昔坐道場・ 仁王経の 二十九年.

むりょうぎきょうの がせんどうじょう ほけきょうほうべんぽんの がしざどうじょう とうを.
無量義経の 我先道場・ 法華経 方便品の 我始坐道場 等を.

ひとことに だいこもう なりと うちやぶる もん なり.
一言に 大虚妄 なりと 打破る 文 なり.

ほんもん じゅりょうほんに いたって しじょうしょうかく やぶるれば しきょうの か やぶれ.
本門 寿量品に 至つて 始成正覚 やぶるれば 四教の 果 やぶれ.

しきょうの か やぶれぬれば しきょうの いん やぶれぬ.
四教の 果 やぶれぬれば 四教の 因 やぶれぬ.

いん とは しゅぎょうでしの くらい なり.
因 とは 修行弟子の 位 なり.

にぜんしゃくもんの いんがを うちやぶって ほんもんの じっかい いんがを とき あらわす.
爾前迹門の 因果を 打破つて 本門の 十界 因果を とき あらはす.

これ すなわち ほんいんほんがの ほうもん なり.
是れ 則ち 本因本果の 法門 なり.

きゅうかいも むしの ぶっかいに ぐし ぶっかいも むしの きゅうかいに そなえて.
九界も 無始の 仏界に 具し 仏界も 無始の 九界に そなへて.

じつの じゅかいごぐ ひゃっかいせんにょ いちねんさんぜん なるべし.
実の 十界互具・ 百界千如・ 一念三千 なるべし.

こうして かえて みるときは けごんきょうの だいじょうるしゃな.
かうして・ かへて みるときは 華厳経の 台上盧舎那・.

あごんきょうの じょうろくの しょうしゃか ほうとう はんにゃ こんこうみょうきょう.
阿含経の 丈六の 小釈迦・ 方等・ 般若・ 金光明経・.

あみだきょう だいにちきょう とうの ごんぶつらは.
阿弥陀経・ 大日経 等の 権仏等は.

この じゅりょうほんの ほとけの てんげつの しばらく かげを.
此の 寿量品の 仏の 天月の しばらく かげを.

だいしょうの うつわ ものに うかべ たもうを.
大小の・ うつは ものに 浮べ 給うを.

しょしゅうの ちしゃ がくしょうらは ちかくは じしゅうに まどい.
諸宗の 智者 学匠等は 近くは 自宗に まどひ.

とおくは ほけきょうの じゅりょうほんを しらず.
遠くは 法華経の 寿量品を 知らず.

すいちゅうの つきに じつげつの おもいを なして.
水中の 月に 実月の おもひを なして.

あるいは いって とらんと おもい.
或は 入つて 取らんと おもひ.

あるいは なわを つけて つなぎ とどめんとす.
或は 繩を つけて つなぎ とどめんとす.

これを てんだいだいし しゃくして いわく.
此れを 天台大師 釈して 云く.

「てんげつを しらずして ただ ちげつを かんず」と.
「天月を 識らずして 但 池月を 観ず」と.

こころは にぜんしゃくもんに しゅうちゃくする ものは.
心は 爾前・ 迹門に 執着する 者は.

そらの つきを しらずして ただ いけの つきを のぞみ.
そらの 月を しらずして 但 池の 月を のぞみ.

みるが ごとくなりと しゃくせられたり.
見るが 如くなりと 釈せられたり.

また そうぎりつの もんに 500の ましら やま より いでて.
又 僧祇律の 文に 五百の マシラ 山 より 出でて.

みずに やどれる つきを みて いって とらんと しけるが.
水に やどれる 月を みて 入つて とらんと しけるが.

じつには なき すいげつ なれば つき とられずして.
実には 無き 水月 なれば 月 とられずして.

みずに おちて いって ましらは しにけり.
水に 落ち 入つて マシラは 死にけり.

ましらとは いまの だいばだった ろくぐんびくら なりと あかし たまえり.
マシラとは 今の 提婆達多・ 六群比丘等 なりと あかし 給へり.

いっさいきょうの なかに この じゅりょうほん ましまさずば てんに にちげつ なく.
一切経の 中に 此の 寿量品 ましまさずは 天に 日月 無く.

くにに だいおう なく さんかいに たま なく.
国に 大王 なく 山海に 玉 なく.

ひとに たましい なからんが ごとし.
人 にたましゐ 無からんが ごとし.

されば じゅりょうほん なくしては いっさいきょう いたずらごと なるべし.
されば 寿量品 なくしては 一切経 いたづらごと なるべし.

ねなき くさは ひさしからず.
根無き 草は ひさしからず.

みなもと なき かわは とおからず.
みなもと なき 河は 遠からず.

おや なき こは ひとに いやしまる.
親 無き 子は 人に いやしまる.

しょせん じゅりょうほんの かんじん なんみょうほうれんげきょう こそ.
所詮 寿量品の 肝心 南無妙法蓮華経 こそ.

じっぽうさんぜの しょぶつの ははにて おわし そうらえ.
十方三世の 諸仏の 母にて 御坐し 候へ.

きょうきょう きんげん.
恐恐 謹言.

4がつ 17にち.
四月 十七日.

にちれん かおう.
日蓮 花押.

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