b1289から1294.
破良観等御書 (は りょうかん とう ごしょ).
御執筆年次は不明.

 

b1289

は りょうかん とう ごしょ.
破 良観 等 御書.

りょうかん どうりゅう ひがんしょうにんらが.
良観 道隆 悲願聖人等が.

ごくらくじ けんちょうじ じゅふくじ ふもんじ とうを たてて.
極楽寺 建長寺 寿福寺 普門寺 等を 立てて.

えいざんの えんどん だいかいを べつじょ するが ごとし.
叡山の 円頓 大戒を 蔑如 するが 如し.

これは だいいちには はそうざい なり.
此れは 第一には 破僧罪 なり.

2には ほとけの おんみ より ちを いだす.
二には 仏の 御身 より 血を 出だす.

いまの ねんぶつしゃらが きょうしゅ しゃくそんの ごにゅうめつの 2がつ 15にちを おさえとり.
今の 念仏者等が 教主 釈尊の 御入滅の 二月十五日を をさへとり.

あみだぶつの ひと さだめ ほとけ しょうにちの ようかをば やくしぶつの ひと いい.
阿弥陀仏の 日と さだめ 仏 生日の 八日をば 薬師仏の 日と いゐ.

いっさいの しんごんしが だいにちにょらいを たのみて.
一切の 真言師が 大日如来を たのみて.

きょうしゅ しゃくそんは むみょうに まよえる ほとけ.
教主 釈尊は 無明に 迷える 仏.

われらが はきものとりにも およばず.
我等が 履とりにも 及ばず.

けっくは かんちょうして しゃかぶつの こうべを ふむ.
結句は 灌頂して 釈迦仏の 頭を ふむ.

ぜんしゅうの ほっしらは きょうげべつでんと ののしりて.
禅宗の 法師等は 教外別伝と ののしりて.

いっさいきょうをば ほんぐには おとり.
一切経をば ほんぐには をとり.

われらは ほとけに ちょうかせりと うんぬん.
我等は 仏に 超過せりと 云云.

これは みなみいんどの だいまん ばらもんが ながれ すいぶつしんけつの いちぶん なり.
此は 南印度の 大慢 ばら門が ながれ 出仏身血の 一分 なり.

だい3に れんげびくにを うちころす.
第三に 蓮花比丘尼を 打ちころす.

これ ほとけの ようぼにして あらかん なり.
これ 仏の 養母にして 阿羅漢 なり.

これは あじゃせおうの だいばだったを すてて ほとけに つき たまいし とき.
此れは 阿闍世王の 提婆達多を すてて 仏に つき 給いし 時.

いかりを なして だいか むねを やきしかば はらを すえかねて.
いかりを なして 大火 ムネを やきしかば はらを すへかねて.

この あまの ゆきあい そうろう たりしを うちころせし なり.
此の 尼の ゆきあひ 候 たりしを 打ち殺せし なり.

いまの ねんぶつしゃらが ねんぶつと ぜんと りつと しんごんとを せめられて のぶる かたは なし.
今の 念仏者等が 念仏と 禅と 律と 真言とを せめられて のぶる かたわ なし.

けっくは だんなとうを あいかたらいて にちれんが でしを ころさせ.
結句は 檀那等を あひかたらひて 日蓮が 弟子を 殺させ.

よが こうべ とうに きずを つけ ざんそうを なして.
予が 頭 等に きずを つけ ざんそうを なして.

にど まで るざい あわせて くびを きらせんと くわだて.
二度 まで 流罪 あわせて 頸を きらせんと くわだて.

でしら すうじゅうにんを ろうに もうし いるる のみならず.
弟子等 数十人を ろうに 申し 入るる のみならず.

かまくらじゅうに ひを つけて にちれんが でしの しょい なりと ふれまわして.
かまくら内に 火を つけて 日蓮が 弟子の 所為 なりと ふれまわして.

ひとりも なく うしなわんと せしが ごとし.
一人も なく 失わんと せしが 如し.

しかるに だいばだったが さんぎゃくざいは ほとけの おんみ より ちを いだせども.
而るに 提婆達多が 三逆罪は 仏の 御身 より 血を いだせども.

にぜんの ほとけ くおんじつじょうの しゃかには あらず.
爾前の 仏 久遠実成の 釈迦には あらず.

さつらかんも にぜんの らかん ほけきょうの ぎょうじゃには あらず.
殺羅漢も 爾前の 羅漢 法華経の 行者には あらず.

は わごうそうも にぜん しょうじょうの かい なり.
破 和合僧も 爾前 小乗の 戒 なり.

ほっけ えんどんの だいかいの そうにも あらず.
法華 円頓の 大戒の 僧にも あらず.

→a1289

b1290

だいち われて むけんじごくに いり しかども.
大地 われて 無間地獄に 入り しかども.

ほけきょうの さんぎゃく ならざれば いとうも ふかく あらざりけるかの ゆえに.
法華経の 三逆 ならざれば いたうも 深く あらざりけるかの ゆへに.

だいばは ほけきょうにして てんのうにょらいと ならさせ たもう.
提婆は 法華経にして 天王如来と ならさせ 給う.

いまの しんごんし ねんぶつしゃ ぜん りつとうの ひとびと.
今の 真言師 念仏者 禅 律等の 人人.

ならびに これを ごきえ ある てんし ならびに しょうぐんけ にほんこくの じょうげ ばんにんは.
並に 此れを 御帰依 ある 天子 並びに 将軍家 日本国の 上下 万人は.

ほけきょうの ごうてきと なる うえ いちじょうの ぎょうじゃの だいおんてきと なりぬ.
法華経の 強敵と なる 上 一乗の 行者の 大怨敵と なりぬ.

されば たとい いっさいきょうを さとり じっぽうの ほとけに きえし.
されば 設い 一切経を 覚り 十方の 仏に 帰依し.

いっこくの どうとうを こんりゅうし いっさいしゅじょうに じひを おこすとも.
一国の 堂塔を 建立し 一切衆生に 慈悲を をこすとも.

しゅうる たいかいに いり かんみと なり.
衆流 大海に 入り かんみと なり.

しゅうちょう しゅみせんに ちかずきて どうしょくと なるが ごとく.
衆鳥 須弥山に 近ずきて 同色と なるが ごとく.

いっさいの だいぜん へんじて だいあくと なり.
一切の 大善 変じて 大悪と なり.

しちふく かえりて しちなん おこり.
七福 かへりて 七難 をこり.

げんざい がんぜんには たこくの せめ きびしく.
現在 眼前には 他国の せめ きびしく.

じしんは つわものに やぶられ つまこは かたきに とられ.
自身は 兵に やぶられ 妻子は 敵に とられて.

ごしょうには むけんだいじょうに おつべし.
後生には 無間大城に 堕つべし.

これを もって おもうに こ やしろうどのは.
此れを もんて をもうに 故 弥四郎殿は.

たとい だいか なりとも だいばが ぎゃくには すぐべからず.
設い 大罪 なりとも 提婆が 逆には すぐべからず.

いかに いわんや しょうざい なり.
何に 況や 小罪 なり.

ほけきょうを しんぜし ひと なれば むいちふじょうぶつ うたがい なきもの なり.
法華経を 信ぜし 人 なれば 無一不成仏 疑 なきもの なり.

うたがって いわく いまの しんごんしらを むけんじごくと そうろうは こころえられぬ ことなり.
疑て 云く 今の 真言師等を 無間地獄と 候は 心へられぬ 事なり.

いまの しんごんは もと こうぼうだいし でんぎょうだいし じかくだいし ちしょうだいし.
今の 真言は 源 弘法大師 伝教大師 慈覚大師 智証大師.

この 4だいしの ながれ なり.
此の 四大師の ながれ なり.

この ひとびと じごくに おち たまわずば いまの しんごんし いかでおち そうろうべき.
此の 人人 地獄に 堕ち 給はずば 今の 真言師 いかで 堕ち 候べき.

こたえて いわく じごくは 136 あり.
答えて 云く 地獄は 一百三十六 あり.

135の じごくへは おつる ひと あめの ごとし.
一百三十五の 地獄へは 堕つる 人 雨の ごとし.

その いん やすき ゆえなり.
其の 因 やすき ゆへなり.

いちの むけんだいじょうへは おつる ひと かたし.
一の 無間大城へは 堕つる 人 かたし.

5ぎゃくざいを つくる ひと まれなる ゆえなり.
五逆罪を 造る 人 まれなる ゆへなり.

また ぶつぜんには 5ぎゃく なし.
又 仏前には 五逆 なし.

ただ しふ しもの 2ぎゃく ばかり あり.
但 殺父 殺母の 二逆 計り あり.

また にぎゃくの なかにも ぶつぜんの しふ しもは けつじょうとしてむけんじごくへは おちがたし.
又 二逆の 中にも 仏前の 殺父 殺母は 決定として 無間地獄へは 堕ちがたし.

ちくしょうの にぎゃくの ごとし.
畜生の 二逆の ごとし.

しかるに いま こんにち にほんこくの ひとびとは また 135の じごくへは ゆきがたし.
而るに 今 日本国の 人人は 又 一百三十五の 地獄へは ゆきがたし.

にほんこくの ひとびと かたちは ことなれども おなじく ほけきょう ひぼうの やから なり.
日本国の 人人 形は ことなれども 同じく 法華経 誹謗の 輩 なり.

にほんこく ことなれども おなじく ほっけ ひぼうの ものと なる ことは.
日本国 異なれども 同じく 法華 誹謗の 者と なる 事は.

もと でんぎょう より ほかの さんだいしの ぎ より こと おこれり.
源 伝教 より 外の 三大師の 義 より 事 をこれり.

とうて いわく さんだいしの ぎ いかん.
問うて 云く 三大師の 義 如何.

こたえて いわく こうぼうとうの さんだいしは その ぎ ことなれども.
答えて 云く 弘法等の 三大師は 其の 義 ことなれども.

おなじく ほけきょう ひぼうは いちどう なり.
同じく 法華経 誹謗は 一同 なり.

いわゆる ぜんむいさんぞう こんごうちさんぞう ふくうさんぞうの ほけきょう ひぼうの じゃぎ なり.
所謂 善無畏三蔵 金剛智三蔵 不空三蔵の 法華経 誹謗の 邪義 なり.

→a1290

b1291

とうて いわく さんだいしの じごくへ おつる しょうこ いかん.
問うて 云く 三大師の 地獄へ 堕つる 証拠 如何.

こたえて いわく ぜんむいさんぞうは かんど にほんこくの しんごんしゅうの がんそ なり.
答えて 云く 善無畏三蔵は 漢土 日本国の 真言宗の 元祖 なり.

かの ひと すでに とんしして えんまの せめに あえり.
彼の 人 すでに 頓死して 閻魔の せめに あへり.

その せめに あうことは ほかの とが ならず.
其の せめに 値う 事は 他の 失 ならず.

ほけきょうは だいにちきょうに おとると たてし ゆえなり.
法華経は 大日経に 劣ると 立てし ゆへなり.

しかるを この とがを しらずして.
而るを 此の 失を 知らずして.

その ぎを ひろめたる じかく ちしょう じごくを のがるべしや.
其の 義を ひろめたる 慈覚 智証 地獄を 脱るべしや.

ただし ぜんむいさんぞうの えんまの せめに あずかりし ゆえをだにも.
但し 善無畏三蔵の 閻魔の せめに あづかりし 故をだにも.

たずね あきらめば この こと じねんに あらわれぬべし.
たづね あきらめば 此の 事 自然に 顕れぬべし.

ぜんむいさんぞうの てつの なわ しちすじ つきたる ことは.
善無畏三蔵の 鉄の 繩 七すぢ つきたる 事は.

だいにちきょうの しょに われと かかれて そうろう うえ.
大日経の 疏に 我と かかれて 候 上.

にほん だいごの えんまどう そうしゅう かまくらの えんまどうに あらわせり.
日本 醍醐の 閻魔堂 相州 鎌倉の 閻魔堂に あらわせり.

これを もって じかく ちしょうらの とがをば しるべし.
此れを もつて 慈覚 智証等の 失をば 知るべし.

とうて いわく ほけきょうと だいにちの さんぶきょうの しょうれつはきょうもん いかん.
問うて 云く 法華経と 大日の 三部経の 勝劣は 経文 如何.

こたえて いわく ほけきょうには しょきょうの なかに おいて もっとも その うえに ありと とかれて.
答えて 曰く 法華経には 諸経の 中に 於て 最も 其の 上に 在りと 説かれて.

この ほけきょうは いっさいきょうの ちょうじょうの ほう なりと うんぬん.
此の 法華経は 一切経の 頂上の 法 なりと 云云.

だいにちきょう しちかん こんごうちょうきょう 3かん そしっちきょう 3かん.
大日経 七巻 金剛頂経 三巻 蘇悉地経 三巻.

いじょう 13かんの うち ほけきょうに まさると もうす きょうもんはいっく いちげも これなし.
已上 十三巻の 内 法華経に 勝ると 申す 経文は 一句 一偈も これなし.

ただ そしっききょう ばかりにぞ さんぶの なかに おいて この きょうを おうと なすと もうす もん そうろう.
但 蘇悉地経 計りにぞ 三部の 中に 於て 此の 経を 王と 為すと 申す 文 候.

これは だいにちの さんぶきょうの なかの おう なり.
此れは 大日の 三部経の 中の 王 なり.

まったく いちだいの しょきょうの なかの だいおうには あらず.
全く 一代の 諸経の 中の 大王には あらず.

れいせば ほんちょうの おうを だいおうと いう.
例せば 本朝の 王を 大王と いふ.

これは にほんこくの なかの だいおう なり.
此れは 日本国の 内の 大王 なり.

まったく かんど がっしの しょおうに すぐれたる だいおうには あらず.
全く 漢土 月支の 諸王に 勝れたる 大王には あらず.

ほけきょうは いちだいの いっさいきょうの なかの おうたるに のみならず.
法華経は 一代の 一切経の 中の 王たる のみならず.

さんぜじっぽうの いっさいの しょぶつの しょせつの なかの だいおう なり.
三世十方の 一切の 諸仏の 所説の 中の 大王 なり.

れいせば だいぼんてんのうの ごときんば.
例せば 大梵天王の ごときんば.

もろもろの しょうおう りんてんおう してんのう しゃくおう まおう とうの いっさいの おうに まされたる だいおう なり.
諸の 小王 転輪王 四天王 釈王 魔王 等の 一切の 王に 勝れたる 大王 なり.

こんごうちょうきょうと もうすは しんごんきょうの ちょうおう.
金剛頂経と 申すは 真言教の 頂王.

さいしょうおうきょうと もうすは げどう.
最勝王経と 申すは 外道.

てんせん とうの きょうの なかの だいおう.
天仙 等の 経の 中の 大王.

まつたく いっさいの なかの ちょうおうには あらず.
全く 一切経の 中の 頂王には あらず.

ほけきょうは いっさいきょうの ちょうじょうの ほうじゅ なり.
法華経は 一切経の 頂上の 宝珠 なり.

ろんし にんしを すてて もっぱら きょうもんを くらべば かくの ごとし.
論師 人師を すてて 専ら 経文を くらべば かくの ごとし.

しかるを てんだいしゅう しゅったいの のち がっし より わたれる きょうろん.
而るを 天台宗 出来の 後 月氏 より わたれる 経論.

ならびに てんじく かんどにして たてたる しゅうしゅうの がんそ とう.
並に 天竺 漢土にして 立てたる 宗宗の 元祖 等.

しゅらしんを さし はさめるかの ゆえに.
修羅心を さし はさめるかの ゆへに.

あるいは きょうろんに わたくしの ことばを まじえて ことを ぶっせつに よせ.
或は 経論に わたくしの 言を まじへて 事を 仏説に よせ.

あるいは ことを がっしの きょうに よせなんどして.
或は 事を 月氏の 経に よせなんどして.

わたくしの ふでを そえ ぶっせつの よしを しょうす.
私の 筆を そへ 仏説の よしを 称す.

ぜんむいさんぞうとうは ほけきょうと だいにちきょうとの しょうれつをさだむるに りどうじしょうと うんぬん.
善無畏三蔵等は 法華経と 大日経との 勝劣を 定むるに 理同事勝と 云云.

これは ぶついには あらず.
此れは 仏意には あらず.

ぶっせつの ごとく ならば だいにちきょうとうは 40よねんの うち.
仏説の ごとく ならば 大日経等は 四十余年の 内.

40よねんの うちにも けごん はんにゃ とうには およぶべくも なし.
四十余年の 内にも 華厳 般若 等には 及ぶべくも なし
.
ただ あごん しょうじょうきょうに すこし いさてたる きょう なり.
但 阿含 小乗経に すこし いさてたる 経 なり.

→a1291

b1292

しかるを じかくだいしらは このぎを わきまえずして.
而るを 慈覚大師等は 此の 義を 弁えずして.

ぜんむいさんぞうを おもく おもう ゆえに りどうじしょうの ぎを じつぎと おもえり.
善無畏三蔵を 重く をもう ゆへに 理同事勝の 義を 実義と をもえり.

こうぼうだいしは また これらには にるべくも なき びゃくにん なり.
弘法大師は 又 此等には にるべくも なき 僻人 なり.

いわゆる ほけきょうは だいにちきょうに おとる のみならず けごんきょうとうにも おとれり とう うんぬん.
所謂 法華経は 大日経に 劣る のみならず 華厳経 等にも をとれり 等 云云.

しかるを この じゃぎを ひとに しんぜ させんために あるいは だいにちにょらい より しゃびょう せりと いい.
而るを 此の 邪義を 人に 信ぜ させんために 或は 大日如来 より 写瓶 せりと いゐ.

あるいは われ まのあたり りょうぜんにして きけりと いい.
或は 我 まのあたり 霊山にして きけりと いゐ.

あるいは しの けいかおしょうの われを ほめし.
或は 師の 慧果和尚の 我を ほめし.

あるいは さんこを なげたり なんど もうし しゅじゅの おうげんを かまえたり.
或は 三鈷を なげたり なんど 申し 種種の 誑言を かまへたり.

おろかな ものは いま しんを とる.
愚な 者は 今 信を とる.

また てんだいの しんごんしは じかくだいしを もとと せり.
又 天台の 真言師は 慈覚大師を 本と せり.

えいざんの 3000にんも これを しんじる うえ.
叡山の 三千人も これを 信ずる 上.

したがって よよの けんのうの ごせに ちょくせんを くだす.
随つて 代代の 賢王の 御世に 勅宣を 下す.

その ちょくせんの せんは ほけきょうと だいにちきょうとは どうだいご.
其の 勅宣の せんは 法華経と 大日経とは 同醍醐.

たとえば とりの りょうよく ひとの さゆうの まなこ とう うんぬん.
譬へば 鳥の 両翼 人の 左右の 眼 等 云云.

いまの よの いっさいの しんごんしは この ぎを すぎず.
今の 世の 一切の 真言師は 此の 義を すぎず.

これらは けいかを にちげつに こゆと おもい きゅういんを かざん より たかしと いう ぎ なり.
此等は 螢火を 日月に 越ゆと をもひ 蚯蚓を 花山 より 高しと いう 義 なり.

その うえ いっさいの しんごんしは かんちょうと なずけて.
其の 上 一切の 真言師は 灌頂と なづけて.

しゃかぶつを ただちに かきて しきまんだらと なずけて でしの あしに ふませ.
釈迦仏を 直ちに かきて しきまんだらと なづけて 弟子の 足に ふませ.

あるいは ほけきょうの ほとけは むみょうに まよえる ほとけ ひとのなかの えぞの ごとし.
或は 法華経の 仏は 無明に 迷える 仏 人の 中の いぞの ごとし.

しんごんしが はきものとりにも およばず なんど ふみに つくれり.
真言師が 履とりにも 及ばず なんど ふみに つくれり.

いまの しんごんしは この もんを ほんしょと なずけて.
今の 真言師は 此の 文を 本疏と なづけて.

ひび よよに だんぎして くげ ぶけの いのりと ごうして.
日日 夜夜に 談義して 公家 武家の いのりと がうして.

おおくの しょりょうを ちぎょうし だんなを たぼらかす.
ををくの 所領を 知行し 檀那を たぼらかす.

ことの こころを あんずるに かの だいまんばらもんが ごとく むくろんしに ことならず.
事の 心を 案ずるに 彼の 大慢ばら門が ごとく 無垢論師に ことならず.

これらは げんしんに あびの だいかを まねくべき ひとびと なれども.
此等は 現身に 阿鼻の 大火を 招くべき 人人 なれども.

ごうてきの なければ さて すぐるか.
強敵の なければ さて すぐるか.

しかりと いえども その しるし がんぜんに みえたり.
而りと いへども 其の しるし 眼前に みへたり.

じかくと ちしょうとの もんか とう とうじょう ひまなく.
慈覚と 智証との 門家 等 闘諍 ひまなく.

こうぼうと しょうかくが まっそんが ほんじと でんぽういん えいざんと おんじょうとの そうろんは.
弘法と 聖覚が 末孫が 本寺と 伝法院 叡山と 薗城との 相論は.

しゅらと しゅらと さると いぬの ごとし.
修羅と 修羅と 猿と 犬との ごとし.

これらは じかくの むそうに ひを いると み.
此等は 慈覚の 夢想に 日を 射ると み.

こうぼうの げんしん もうごの すえか.
弘法の 現身 妄語の すへか.

ほとけ まつだいを しるして いわく.
仏 末代を 記して 云く.

ほうぼうの ものは だいち みじん よりも おおく しょうほうの ものは そうじょうの ど より すくなかるべし.
謗法の 者は 大地 微塵 よりも 多く 正法の 者は 爪上の 土 より すくなかるべし.

ぶつご まこと なるかなや いま にほんこく かの きに あたれり.
仏語 まこと なるかなや 今 日本国 かの 記に あたれり.

よは かつ しろめされて そうろうが ごとく.
予は かつ しろしめされて 候が ごとく.

ようしょうの とき より がくもんに こころを かけし うえ.
幼少の 時 より 学文に 心を かけし 上.

だいこくうぞうぼさつの ごほうぜんに がんを たてて.
大虚空蔵菩薩の 御宝前に 願を 立て.

にほん だいいちの ちしゃと なし たまえ.
日本 第一の 智者と なし 給へ.

12の とし より この がんを たつ.
十二の とし より 此の 願を 立つ.

その しょがんに しさい あり いま くわしく のせがたし.
其の 所願に 子細 あり 今 くはしく のせがたし.

→a1292

b1293

その ご まず じょうどしゅう ぜんしゅうを きく.
其の 後 先ず 浄土宗 禅宗を きく.

その ご えいざん おんじょう こうや きょうちゅう いなか とう しょしょに しゅぎょうして.
其の 後 叡山 薗城 高野 京中 田舎 等 処処に 修行して.

じたしゅうの ほうもんを ならい しかども.
自他宗の 法門を ならひ しかども.

わが みの ふしん はれがたき うえ.
我が 身の 不審 はれがたき 上.

もとよりの がんに しょしゅう いずれの しゅう なりとも へんとう しゅうしん ある べからず.
本よりの 願に 諸宗 何れの 宗 なりとも 偏党 執心 ある べからず.

いづれも ぶっせつに しょうこ ふんみょうに どうり げんぜん ならんを もちゆべし.
いづれも 仏説に 証拠 分明に 道理 現前 ならんを 用ゆべし.

ろんし やくしゃ にんし とうには よるべからず.
論師 訳者 人師 等には よるべからず.

もっぱら きょうもんを せんと せん.
専ら 経文を 詮と せん.

また ほうもんに よりては たとい おうの せめ なりとも はばかる べからず.
又 法門に よりては 設い 王の せめ なりとも はばかる べからず.

いかに いわんや その いげの ひとをや.
何に 況や 其の 已下の 人をや.

ふぼ しけい とうの きょうくん なりとも もちゆ べからず.
父母 師兄 等の 教訓 なりとも 用ゆ べからず.

ひとの しん ふしんは しらず.
人の 信 不信は しらず.

ありのままに もうすべしと せいじょうを たてし ゆえに.
ありのままに 申すべしと 誓状を 立てし ゆへに.

さんろんしゅうの かじょう けごんんしゅうの ちょうかん ほっそうしゅうの じおんらをば.
三論宗の 嘉祥 華厳宗の 澄観 法相宗の 慈恩等をば.

てんだい みょうらく でんぎょう とうは むけんじごくと せめたれども.
天台 妙楽 伝教 等は 無間地獄と せめたれども.

しんごんしゅうの ぜんむいさんぞう こうぼうだいし じかく ちしょうらの びゃっけんは いまだ せむる ひと なし.
真言宗の 善無畏三蔵 弘法大師 慈覚 智証等の 僻見は いまだ せむる 人 なし.

ぜんむい ふくうらの しんごんしゅうを すてて てんだいに よる ことは.
善無畏 不空等の 真言宗を すてて 天台に よる 事は.

みょうらくだいしの きの 10の こうじょ ならびに でんぎょうだいしのえひょうしゅうに のせられ たれども.
妙楽大師の 記の 十の 後序 並に 伝教大師の 依憑集に のせられ たれども.

いまだ くわしからざればにや.
いまだ くはしからざればにや.

じかく ちしょうの びゅうごは しゅったい せるかと ごうじょうに せむるなり.
慈覚 智証の 謬ゴは 出来 せるかと 強盛に せむるなり.

かく もうす ほどに とし32 けんちょう 5ねんの はるの ころより.
かく 申す 程に 年卅二 建長 五年の 春の 比より.

ねんぶつしゅうと ぜんしゅうと とうを せめ はじめて のちに しんごんしゅう とうを せむる ほどに.
念仏宗と 禅宗と 等を せめ はじめて 後に 真言宗 等を せむる ほどに.

ねんぶつしゃら はじめには あなずる.
念仏者等 始には あなづる.

にちれん いかに かしこくとも みょうえんぼう こういんそうじょう けんしんざす とうには すぐ べからず.
日蓮 いかに かしこくとも 明円房 公胤僧上 顕真座主 等には すぐ べからず.

かの ひとびと だにも はじめは ほうねんしょうにんを なんぜしが のちには みな おちて.
彼の 人人 だにも はじめは 法然上人を なんぜしが 後に みな 堕ちて.

あるいは しょうにんの でしと なり あるいは もんかと なる.
或は 上人の 弟子と なり 或は 門家と なる.

にちれんは かれが ごとし.
日蓮は かれが ごとし.

われ つめん われ つめんと はやりし ほどに.
我 つめん 我 つめんと はやりし 程に.

いにしえの ひとびとは ただほうねんを なんじて ぜんどう どうしゃくらを せめず.
いにしへの 人人は 但 法然を なんじて 善導 道綽等を せめず.

また きょうの ごんじつを いわざり しかば こそ ねんぶつしゃは おごりけれ.
又 経の 権実を いわざり しかば こそ 念仏者は をごりけれ.

いま にちれんは ぜんどう ほうねんらをば むけんじごくに つきおとして.
今 日蓮は 善導 法然等をば 無間地獄に つきをとして.

もっぱら じょうどの さんぶきょうを ほけきょうに おしあわせて せむる ゆえに.
専ら 浄土の 三部経を 法華経に をしあはせて せむる ゆへに.

けいかに にちがつ こうがに たいかいの ようなる うえ.
螢火に 日月 江河に 大海の やうなる 上.

ねんぶつは ほとけの しばらくの けろんの ほう.
念仏は 仏の しばらくの 戯論の 法.

じつに これを もって しょうじを はなれんと おもわば.
実に これを もつて 生死を はなれんと をもわば.

おおいしを ふねに つくり たいかいを わたり.
大石を 船に 造り 大海を わたり.

たいざんを になって けんなんを こゆるが ごとしと なんぜ しかば.
大山を になて 嶮難を 越ゆるが ごとしと 難ぜ しかば.

おもてを むかうる ねんぶつしゃ なし.
面を むかうる 念仏者 なし.

のちには てんだいしゅうの ひとびとを かたらいて どうしうちに せんと せしかども それも かなわず.
後には 天台宗の 人人を かたらひて どしうちに せんと せしかども それも かなはず.

てんだいしゅうの ひとびとも せめられ しかば.
天台宗の 人人も せめられ しかば.

ざいけ しゅっけの こころ ある ひとびと しょうしょう ねんぶつと ぜんしゅうとを すつ.
在家 出家の 心 ある 人人 少少 念仏と 禅宗とを すつ.

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ねんぶつしゃ ぜんしゅう りっそうら わが ちりき かなわざる ゆえに.
念仏者 禅宗 律僧等 我が 智力 叶わざる ゆへに.

しょしゅうに いり あるきて しゅじゅの ざんそうを なす.
諸宗に 入り あるきて 種種の 讒奏を なす.

ざいけの ひとびとは ふしん ある ゆえに.
在家の 人人は 不審 ある ゆへに.

おのおのの じそうら あるいは しんごんし あるいは ねんぶつしゃ.
各各の 持僧等 或は 真言師 或は 念仏者.

あるいは ふるき てんだいしゅう あるいは ぜんしゅう あるいは りっそうらを わきに はさみて.
或は ふるき 天台宗 或は 禅宗 或は 律僧 等を わきに はさみて.

あるいは にちれんが じゅうしょに むかい あるいは かしこへ よぶ.
或は 日蓮が 住処に 向い 或は かしこへ よぶ.

しかれども ひとこと ふたことには すぎず.
而れども 一言 二言には すぎず.

かせんねんが げどうを せめしが ごとく.
迦旃延が 外道を せめしが ごとく.

とくえぼさつが まとうばを つめしが ごとく.
徳慧菩薩が 摩沓婆を つめしが ごとく.

せめし ゆえに その ちから およばず.
せめし ゆへに 其の 力 及ばず.

ひとは ち かしこき もの すくなきかの ゆえに.
人は 智 かしこき 者 すくなきかの ゆへに.

けっくは ねんぶつしゃらをば つめさせて かなわぬ ところには.
結句は 念仏者等をば つめさせて かなはぬ ところには.

だいみょうして もの おぼえぬ さむらいども たのしくて.
大名して もの をぼへぬ 侍ども たのしくて.

せんごも わきまえぬ とくにんら こぞって にちれんを あだ する ほどに.
先後も 弁えぬ 在家の 徳人等 挙て 日蓮を あだ する ほどに.

あるいは わたくしに ろうぜきを いたして にちれんが かたの ものを うち.
或は 私に 狼藉を いたして 日蓮が かたの 者を 打ち.

あるいは ところを おい あるいは ちを たて あるいは かんどうを なす こと かずを しらず.
或は 所を をひ 或は 地を たて 或は かんだうを なす 事 かずを しらず.

かみに そうすれども ひとの しゅと なる ひとは.
上に 奏すれども 人の 主と なる 人は.

さすが かいりきと いい ふくでんと もうし しさい あるべきかと おもいて.
さすが 戒力と いゐ 福田と 申し 子細 あるべきかと をもひて.

そう なく とがにも なされざり しかば.
左右 なく 失にも なされざり しかば.

きりものども よりあいて まちうどらを かたらいて.
きりものども よりあひて まちうど等を かたらひて.

すうまんの ものを もって よなかに おしよせ うしなわんと せしほどに.
数万人の 者を もつて 夜中に をしよせ 失わんと せしほどに.

じゅうらせつの おんはからい にてや ありけん.
十羅刹の 御計らい にてや ありけん.

にちれん その なんを のがれしかば.
日蓮 其の 難を 脱れしかば.

りょうごくの つかい こころを あわせたる こと なれば ころされぬを.
両国の 吏 心を あわせたる 事 なれば 殺されぬを.

とがにして いずの くにへ ながされぬ.
とがにして 伊豆の 国へ ながされぬ.

さいみょうじどの ばかりこそ しさい あるかと おもわれて いそぎ ゆるされぬ.
最明寺殿 計りこそ 子細 あるかと をもわれて いそぎ ゆるされぬ.

さりし ほどに さいみょうじにゅうどうどの かくれさせ たまい しかば.
さりし 程に 最明寺入道殿 隠れさせ 給い しかば.

いかにも この こと あしく なりなんず.
いかにも 此の 事 あしく なりなんず.

いそぎ かくるべき よ なりとは おもい しかども.
いそぎ かくるべき 世 なりとは をもひ しかども.

これに つけても ほけきょうの かとうど つよくせば.
これに つけても 法華経の かたうど つよくせば.

いちじょう こと いできたる ならば しんみょうを すつるにてこそ あらめと おもいきり しかば.
一定 事 いで来る ならば 身命を すつるにてこそ あらめと 思い切り しかば.

ざんそうの ひとびと いよいよ かずを しらず.
讒奏の 人人 いよいよ かずを しらず.

じょうげばんにん みな ふぼのかたき とわりを みるが ごとし.
上下万人 皆 父母の かたき とわりを みるが ごとし.

ふきょうぼさつの いおんのうぶつの すえに すこしも たがう ことなし.
不軽菩薩の 威音王仏の すへに すこしも たがう 事なし.

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