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妙法尼御前御返事 (みょうほうあまごぜん ごへんじ)
別名、臨終一大事 (りんじゅう いちだいじ).
日蓮大 聖人 57歳 御作.

 

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みょうほうあまごぜん ごへんじ.
妙法尼御前 御返事.

ごしょうそくに いわく.
御消息に 云く.

みょうほうれんげきょうを よる ひる となえ まいらせ.
めうほうれんくゑきやうを よる ひる となへ まいらせ.

すでに ちかく なりて ふたこえ こうしょうに となえ.
すでに ちかく なりて 二声 かうしやうに となへ.

ないし いきて そうらいし とき よりも なお.
乃至 いきて 候し 時 よりも なを.

いろも しろく かたちも そんせずと うんぬん.
いろも しろく かたちも そむせずと 云云.

ほけきょうに いわく「にょぜそう ないし ほんまつくきょうとう」うんぬん.
法華経に 云く「如是相 乃至 本末究竟等」云云.

だいろんに いわく.
大論に 云く.

「りんじゅうの とき いろくろき ものは じごくに おつ」とう うんぬん.
「臨終の 時 色黒き 者は 地獄に 堕つ」等 云云.

しゅごきょうに いわく.
守護経に 云く.

「じごくに おつるに 15の そう がきに 8しゅの そう ちくしょうに 5しゅの そう」とう うんぬん.
「地獄に 堕つるに 十五の 相 餓鬼に 八種の 相 畜生に 五種の 相」等 云云.

てんだいだいしの まかしかんに いわく.
天台大師の 摩訶止観に 云く.

「みの こくしょくは じごくの いんに たとう」とう うんぬん.
「身の 黒色は 地獄の 陰に 譬う」等 云云.

それ おもんみれば にちれん ようしょうの とき より ぶっぽうを まなび そうらいしが.
夫 以みれば 日蓮 幼少の 時 より 仏法を 学び 候しが.

ねんがん すらく ひとの じゅみょうは むじょう なり.
念願 すらく 人の 寿命は 無常 なり.

いずる きは いる きを まつこと なし.
出る 気は 入る 気を 待つ 事なし.

かぜの まえの つゆ なお たとえに あたらず.
風の 前の 露 尚 譬えに あらず.

かしこきも はかなきも おいたるも わかきも さだめ なき ならいなり.
かしこきも はかなきも 老いたるも 若きも 定め 無き 習いなり.

されば まず りんじゅうの ことを なろうて のちに たじを ならうべしと おもいて.
されば 先 臨終の 事を 習うて 後に 他事を 習うべしと 思いて.

いちだいせいきょうの ろんし にんしの しょしゃく あらあら かんがえ.
一代聖教の 論師、 人師の 書釈 あらあら かんがへ.

あつめて これを みょうきょうとし.
あつめて 此を 明鏡として.

いっさいの しょにんの しする ときと.
一切の 諸人の 死する 時と.

ならびに りんじゅうの のちとに ひきむかえて み そうらえば すこしも くもり なし.
並に 臨終の 後とに 引き向えて み 候へば すこしも くもり なし.

この ひとは じごくに おち たもう.
此の 人は 地獄に 堕ち 給う.

ないし にんてんとは みえて そうろうを せけんの ひとびと.
乃至 人天とは みへて 候を、世間の 人人.

あるいは ししょう ふぼらの りんじゅうの そうを かくして.
或は 師匠 父母 等の 臨終の 相を かくして.

さいほうじょうど おうじょうと のみ もうし そうろう.
西方浄土 往生と のみ 申し 候.

かなしいかな ししょうは あくどうに おちて おおくの くるしみ しのび がたければ.
悲いかな 師匠は 悪道に 堕ちて 多くの 苦み しのび がたければ.

でしは とどまりて しの りんじゅうを さんだんし.
弟子は とどまりゐて 師の 臨終を さんだんし.

じごくの くるしみを ぞうちょう せしむる.
地獄の 苦を 増長 せしむる.

たとえば つみ ふかき ものを くちを ふさいで きゅうもんし.
譬へば つみ ふかき 者を 口を ふさいで きうもんし.

はれものの くちを あけずして なやまするが ごとし.
はれ物の 口を あけずして 悩するが ごとし.

しかるに いまの ごしょうそくに いわく.
しかるに 今の 御消息に 云く.

いきて そうらいし とき よりも なお いろ しろく かたちも そんせずと うんぬん.
いきて 候し 時 よりも なを いろ しろく かたちも そむせずと 云云.

てんだいの いわく はくはくは てんに たとう.
天台の 云く 白白は 天に 譬ふ.

だいろんに いわく「せきびゃく たんせい なる ものは てんじょうを える」うんぬん.
大論に 云く「赤白 端正 なる 者は 天上を 得る」云云.

てんだいだいし ごりんじゅうの きに いわく いろ しろし.
天台大師 御臨終の 記に 云く 色 白し.

げんじょうさんぞう ごりんじゅうを しるして いわく いろ しろし.
玄奘三蔵 御臨終を 記して 云く 色 白し.

いちだいせいきょうを さだむる めいもくに いわく.
一代聖教を 定むる 名目に 云く.

「こくごうは ろくどうに とどまり はくごうは ししょうと なる」.
「黒業は 六道に とどまり 白業は 四聖と なる」.

これらの もんしょうと げんしょうを もって かんがえて そうろうに.
此等の 文証と 現証を もんて かんがへて 候に.

この ひとは てんに しょうぜるか.
此の 人は 天に 生ぜるか.

はたまた ほけきょうの みょうごうを りんじゅうに にへん となうと うんぬん.
はた又 法華経の 名号を 臨終に 二反 となうと 云云.

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ほきょうの だい7のまきに いわく.
法華経の 第七の巻に 云く.

「われ めつどの のちに おいて まさに この きょうを じゅじ すべし.
「我 滅度の 後に 於て 応に 此の 経を 受持 すべし.

この ひと ぶつどうに おいて けつじょうして うたがい あること なけん」うんぬん.
是の 人 仏道に 於て 決定して 疑 有ること 無けん」云云.

いちだいの しょうきょう いずれも いずれも おろかなる ことは そうらわず.
一代の 聖教 いづれも いづれも をろかなる 事は 候はず.

みな われらが しんぷ だいしょうきょうしゅ しゃくそんの きんげん なり.
皆 我等が 親父 大聖教主 釈尊の 金言 なり.

みな しんじつ なり みな じつご なり.
皆 真実 なり 皆 実語 なり.

この なかに おいて また.
其の 中に をいて 又.

しょうじょう だいじょう けんきょう みっきょう ごんだいじょう じつだいじょう あいわかれて そうろう.
小乗 大乗 顕教 密教 大乗 実大乗 あいわかれて 候.

ほとけと もうすは にてん さんせん げどう どうしの きょうぎょうに たいし そうらえば.
仏説と 申すは 二天 三仙 外道 道士の 経経に たいし 候へば.

これらは もうご ぶっせつは じつごにて そうろう.
此等は 妄語 仏説は 実語にて 候.

この じつごの なかに もうご あり じつご あり きごも あり あっくも あり.
此の 実語の 中に 妄語 あり 実語 あり 綺語も あり 悪口も あり.

その なかに ほけきょうは じつごの なかの じつご なり.
其の 中に 法華経は 実語の 中の 実語 なり.

しんじつの なかの しんじつ なり.
真実の 中の 真実 なり.

しんごんしゅうと けごんしゅうと さんろんと ほっそうと くしゃ.
真言宗と 華厳宗と 三論と 法相と 倶舎.

じょうじつと りっしゅうと ねんぶつしゅうと ぜんしゅう とうは.
成実と 律宗と 念仏宗と 禅宗 等は.

じつごの なかの もうご より たて いだせる しゅうじゅう なり.
実語の 中の 妄語 より 立て 出だせる 宗宗 なり.

ほっけしゅうは これらの しゅうじゅうには にるべくも なき じつご なり.
法華宗は 此れ 等の 宗宗には にるべくも なき 実語 なり.

ほけきょうの じつご なる のみならず.
法華経の 実語 なる のみならず.

いちだい もうごの きょうぎょうすら ほけきょうの たいかいに いりぬれば.
一代妄語の 経経すら 法華経の 大海に 入りぬれば.

ほけきょうの おんちからに せめられて じつごと なり そうろう.
法華経の 御力に せめられて 実語と なり 候.

いわんや ほけきょうの だいもくをや.
いわうや 法華経の 題目をや.

おしろいの ちからは うるしを へんじて ゆきの ごとく しろく なす.
白粉の 力は 漆を 変じて 雪の ごとく 白く なす.

しゅみせんに ちかづく しゅう いろは みな こんじき なり.
須弥山に 近づく 衆 色は 皆 金色 なり.

ほけきょうの みょうごうを たもつ ひとは いっしょう.
法華経の 名号を 持つ 人は 一生.

ないし かこ おんのんごうの こくごうの うるし へんじて はくごうの だいぜんと なる.
乃至 過去遠遠劫の 黒業の 漆 変じて 白業の 大善と なる.

いわんや むしの ぜんこん みな へんじて こんじきと なり そうろう なり.
いわうや 無始の 善根 皆 変じて 金色と なり 候 なり.

しかれば こ しょうりょう さいご りんじゅうに.
しかれば 故 聖霊 最後 臨終に.

なんみょうほうれんげきょうと となえさせ たまいしかば.
南無妙法蓮華経と となへさせ 給いしかば、.

いっしょう ないし むしの あくごう へんじて ほとけの たねと なりたもう.
一生 乃至 無始の 悪業 変じて 仏の 種と なり給う.

ぼんのうそくぼだい しょうじそくねはん そくしんじょうぶつと もうす ほうもん なり.
煩悩即菩提 生死即涅槃 即身成仏と 申す 法門 なり.

かかる ひとの えんの ふうふに ならせ たまえば.
かかる 人の えんの 夫婦に ならせ 給へば.

また にょにんじょうぶつも うたがい なかるべし.
又 女人成仏も 疑 なかるべし.

もし このこと そらごと ならば しゃか たほう じっぽう ぶんしんのしょぶつは もうごの ひと.
若し 此の事 虚事 ならば 釈迦 多宝 十方 分身の諸仏は 妄語の 人.

だいもうごの ひと あくにん なり.
大妄語の 人 悪人 なり.

いっさいしゅじょうを たぼらかして じごくに おとす ひと なるべし.
一切衆生を たぼらかして 地獄に おとす 人 なるべし.

だいばだったは じゃっこうじょうどの ぬしと なり.
提婆達多は 寂光浄土の 主と なり.

きょうしゅ しゃくそんは あびだいじょうの ほのおに むせび たもうべし.
教主 釈尊は 阿鼻大城の ほのをに むせび 給うべし.

にちがつは ちに おち だいちは くつがえり.
日月は 地に 落ち 大地は くつがへり.

かわは ぎゃくに ながれ しゅみせんは くだけ おつべし.
河は 逆に 流れ 須弥山は くだけ をつべし.

にちれんが もうごには あらず.
日蓮が 妄語には あらず.

じっぽうさんぜの しょぶつの もうご なり.
十方三世の 諸仏の 妄語 なり.

いかでか そのぎ そうろうべきと こそ おぼえ そうらえ.
いかでか 其の 義 候べきと こそ をぼへ 候へ.

くわしくは けんざんの とき もうすべく そうろう.
委くは 見参の 時 申すべく 候.

7がつ じゅうよっか.
七月 十四日.

にちれん かおう.
日蓮 花押 .

みょうほうあまごぜん もうさせ たまえ.
妙法尼御前 申させ 給へ.

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