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四信五品抄 (ししん ごほんしょう)
別名、末代法華行者位並用心事 (まつだい ほっけのぎょうじゃの くらい ならびに ようじんの こと).
日蓮大聖人 56歳 御作.

 

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ししん ごほんしょう.
四信 五品抄.

けんじ 3ねん 4がつ とおか 56さい おんさく.
建治 三年 四月 十日 五十六歳 御作.

あたう ときじょうにん.
与 富木常忍.

せいふ ひとゆい おくりたび そうらい おわんぬ.
青鳧 一結 送り給び 候い 了んぬ.

こんらいの がくしゃ いちどうの ごぞんちに いわく.
今来の 学者 一同の 御存知に 云く.

「ざいせ めつご ことなりと いえども ほけきょうを しゅぎょう するには かならず さんがくを ぐす.
「在世 滅後 異なりと 雖も 法華を 修行 するには 必ず 三学を 具す.

ひとつを かいても じょうぜず」うんぬん.
一を 欠いても 成ぜず」云云.

よ また としごろこの ぎを そんする ところ いちだいしょうきょうはしばらく これを おく.
余 又 年来 此の 義を 存する 処 一代聖教は 且らく 之を 置く.

ほけきょうに いって この ぎを けんぶん するに じょしょうの 2だんは しばらく これを おく.
法華経に 入つて 此の 義を 見聞 するに 序正の 二段は 且らく 之を 置く.

るつうの いちだんは まっぽうの みょうきょう もっとも えようと なすべし.
流通の 一段は 末法の 明鏡 尤も 依用と 為すべし.

しかして るつうに おいて ふたつ あり.
而して 流通に 於て 二 有り.

いちには いわゆる しゃくもんの なかの ほっしとうの 5ほん.
一には 所謂 迹門の 中の 法師等の 五品.

2には いわゆる ほんもんの なかの ふんべつくどくの はんぼん よりきょうを おわるまで じゅういっぽんはん なり.
二には 所謂 本門の 中の 分別功徳の半品 より 経を 終るまで 十一品半 なり.

この じゅういっぽんはんと 5ほんを あわせて じゅうろっぽんはん.
此の 十一品半と 五品と 合せて 十六品半.

この なかに まっぽうに いって ほけきょうを しゅぎょう する そうみょうふんみょう なり.
此の 中に 末法に 入つて 法華を 修行 する 相貌分明 なり.

これに なお こと いかずんば ふげんきょう ねはんぎょうを ひき きたりて.
是に 尚 事 行かずんば 普賢経 涅槃経 等を 引き 来りて.

これを きゅうめい せんに その かくれ なきか.
之れを 糾明 せんに 其の 隠れ 無きか.

その なかの ふんべつくどくほんの ししんと ごほんとは.
其の 中の 分別功徳品の 四信と 五品とは.

ほっけを しゅぎょうするの たいよう ざいせ めつごの ききょう なり.
法華を 修行するの 大要 在世 滅後の 亀鏡 なり.

けいけいの いわく「いちねんしんげとは すなわち これ ほんもんりつぎょうの はじめ なり」と うんぬん.
ケイ谿 の云く「一念信解とは 即ち 是れ 本門立行の 首 なり」と 云云.

その なかに げんざいの ししんの はじめの いちねんしんげと.
其の 中に 現在の 四信の 初の 一念信解と.

めつごの ごほんの だいいちの しょずいきと.
滅後の 五品の 第一の 初随喜と.

この にしょは いちどうに ひゃっかいせんにょ いちねん3000の ほうきょう.
此の 二処は 一同に 百界千如 一念三千の 宝篋.

じっぽうさんぜの しょぶつの いずる もん なり.
十方三世の 諸仏の 出る 門 なり.

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てんだい みょうらくの ふたりの しょうけん.
天台 妙楽の 二の 聖賢.

この にしょの くらいを さだむるに 3のしゃく あり.
此の 二処の 位を 定むるに 三の 釈 有り.

いわゆる あるいは そうじ じゅっしん てつりんの くらい.
所謂 或は 相似 十信 鉄輪の 位.

あるいは かんぎょうごほんの しょほんの くらい.
或は 観行五品の 初品の 位.

みだんけんじ あるいは みょうじそくの くらい なり.
未断見思 或は 名字即の 位 なり.

しかんに その ふじょうを えして いわく.
止観に 其の 不定を 会して 云く.

「ぶつい しりがたし きに おもむきて いせつ す.
「仏意 知り難し 機に 赴きて 異説 す.

これを もって  かいげせば なんぞ わずらわしく ねんごろに あらそわん」うんぬん とう.
此を 借つて 開解せば 何ぞ 労しく 苦に 諍わん」云云 等.

よが こころに いわく.
予が 意に 云く.

しゃくの なか みょうじそくは きょうもんに かなうか.
三釈の 中 名字即は 経文に 叶うか.

めつごの ごほんの はじめの いっぽんを といて いわく.
滅後の 五品の 初の 一品を 説いて 云く.

「しかも きし せずして ずいきの こころを おこす」と.
「而も 毀呰 せずして 随喜の 心を 起す」と.

もし この もんそうじの ごほんに わたらば.
若し 此の 文相似の 五品に 渡らば.

しかも ふきしの ことばは びん ならざるか.
而 不毀呰の 言は 便 ならざるか.

なかんずく じゅりょうほんの しっしん ふしっしん とうは みな みょうじそく なり.
就中 寿量品の 失心 不失心等は 皆 名字即 なり.

ねはんぎょうに 「にゃくしん にゃくふしん ないし きれん」とあり これを かんがえよ.
涅槃経に 「若信 若不信 乃至 熈連」と あり 之を 勘えよ.

また いちねんしんげの よじの なかの しんの いちじは ししんの はじめに こし.
又 一念信解の 四字の 中の 信の 一字は 四信の 初めに 居し.

げの いちじは のちに うばわるる ゆえなり.
解の 一字は 後に 奪わるる 故なり.

もし しからば むげゆうしんは ししんの しょいに あたる.
若し 爾らば 無解有信は 四信の 初位に 当る.

きょうに だい2しんを といて いわく「りゃくげごんしゅ」と うんぬん.
経に 第二信を 説いて 云く「略解言趣」と 云云.

きの 9に いわく「ただ しょしんを のぞく はじめは げ なきが ゆえに」.
記の 九に 云く「唯 初信を 除く 初は 解 無きが 故に」.

したがって つぎしもの ずいきほんに いたって かみの しょずいきを かさねて これを ふんみょうにす.
随つて 次下の 随喜品に 至つて 上の 初随喜を 重ねて 之を 分明にす.

50にん これ みな てんでん れつなり.
五十人 是 皆 展転 劣なり.

だい50にんに いたって ふたつの しゃく あり.
第五十人に 至つて 二の 釈 有り.

ひとつには いわく だい50にんは しょずいきの うちなり.
一には 謂く 第五十人は 初随喜の 内なり.

ふたつには いわく だい50にんは しょずいきの ほかなりと いうは みょうじそく なり.
二には 謂く 第五十人は 初随喜の 外なりと 云うは 名字即 なり.

きょう いよいよ じつ なれば くらい いよいよ くだれりと いう しゃくは この こころ なり.
教 弥よ 実 なれば 位 弥よ 下れりと 云う 釈は 此の 意 なり.

しみさんきょうよりも えんきょうは きを せっし.
四味三教 よりも 円教は 機を 摂し.

にぜんの えんきょう よりも ほけきょうは きを せっし.
爾前の 円教 よりも 法華経は 機を 摂し.

しゃくもん よりも ほんもんは きを つくすなり.
迹門 よりも 本門は 機を 尽すなり.

きょういじついいげの 6じ こころを とどめて あんずべし.
教弥実位弥下の 六字 心を 留めて 案ず可し.

とう まっぽうに いって しょしんの ぎょうじゃ かならず えんの さんがくを ぐするや いなや.
問う 末法に 入つて 初心の 行者 必ず 円の 三学を 具するや 不や.

こたえて いわく この ぎ だいじたる ゆえに きょうもんを かんがえ いだして きへんに そうふす.
答えて 曰く 此の 義 大事たる 故に 経文を 勘え 出して 貴辺に 送付す.

いわゆる 5ほんの はじめ 2 3ほんには ほとけ ただしく かいじょうの 2ほうを せいしして.
所謂 五品の 初 二 三品には 仏 正しく 戒定の 二法を 制止して.

いっこうに えの いちぶんに かぎる え.
一向に 慧の 一分に 限る 慧.

また たえざれば しんを もって えに かえ.
又 堪ざれば 信を 以て 慧に 代え.

しんの いちじを せんと なす.
信の 一字を 詮と 為す.

ふしんは いちえんぶだい ほうぼうの いん しんは えの いん みょうじそくの くらい なり.
不信は 一闡提 謗法の 因 信は 慧の 因 名字 即の 位 なり.

てんだい いわく「もし そうじの やくは きゃくしょう すれども わすれず.
天台 云く「若し 相似の 益は 隔生 すれども 忘れず.

みょうじかんぎょうの やくは きゃくしょう すれば すなわち わする.
名字観行の 益は 隔生 すれば 即ち 忘る.

あるいは わすれざるも あり わするる ものも.
或は 忘れざるも 有り 忘るる 者も.

もし ちしきに あえば しゅくぜん かえって しょうず.
若し 知識に 値えば 宿善 還つて 生ず.

もし あくゆうに あえば すなわち ほんしんを うしなう」うんぬん.
若し 悪友に 値えば 則ち 本心を 失う」云云.

おそらくは ちゅうこの てんだいしゅうの じかく ちしょうの りょうだいしも.
恐らくは 中古の 天台宗の 慈覚 智証の 両大師も.

てんだい でんぎょうの ぜんちしきに いはいして.
天台 伝教の 善知識に 違背して.

しん むい ふくうらの あくゆうに うつれり.
心 無畏 不空等の 悪友に 遷れり.

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まつだいの がくしゃ えしんの おうじょうようしゅうの じょに おうわく せられて.
末代の 学者 慧心の 往生要集の 序に 誑惑 せられて.

ほっけの ほんしんを うしない みだの ごんもんに いる.
法華の 本心を 失い 弥陀の 権門に 入る.

たいだいしゅしょうの ものなり.
退大取小の 者なり.

かこを もって これを すいするに みらいむりょうこうを へて さんあくどうに しょせん.
過去を 以て 之を 推するに 未来無量劫を 経て 三悪道に 処せん.

もし あくゆうに あえば すなわち ほんしんを うしなうとは これなり.
若し 悪友に 値えば 即ち 本心を 失うとは 是なり.

とうて いわく その しょう いかん.
問うて 曰く 其の 証 如何.

こたえて いわく しかん だい6に いわく.
答えて 曰く 止観 第六 に云く.

「ぜんきょうに その くらいを たこうする ゆえんは ほうべんの せつ なればなり.
「前教に 其の 位を 高うする 所以は 方便の 説 なればなり.

えんきょうの くらい ひくきは しんじつの せつ なればなり」.
円教の 位 下きは 真実の 説 なればなり」.

ぐけつに いわく「ぜんきょうと いうより しもは ただしく ごんじつを はんず.
弘決に 云く「前教と 云うより 下は 正く 権実を 判ず.

きょう いよいよ じつ なれば くらい いよいよ ひくく きょう いよいよ ごんなれば くらい いよいよ たかき ゆえに」と.
教 弥よ 実 なれば 位 弥よ 下く 教 弥よ 権なれば 位 弥よ 高き 故に」と.

また きの 9に いわく「くらいを はんずる ことを いわば.
又 記の 九に 云く「位を 判ずる ことを いわば.

かんきょう いよいよ ふかく じつい いよいよ ひくきを あらわす」と うんぬん.
観境 弥よ 深く 実位 弥よ 下きを 顕す」と 云云.

たしゅうは しばらく これを おく.
他宗は 且らく 之を 置く.

てんだい いちもんの がくしゃら なんぞ じついみげの しゃくを さしおいて えしんそうずの ふでを もちゆるや.
天台 一門の 学者等 何ぞ 実位弥下の 釈を 閣いて 慧心僧都の 筆を 用ゆるや.

い ち くうと かく しょうとの ことは おって これを ならえ.
畏 智 空と 覚 証との 事は 追つて 之を 習え.

だいじ なり だいじ なり.
大事 なり 大事 なり.

いちえんぶだい だいいちの だいじ なり.
一閻浮提 第一の 大事 なり.

こころ あらん ひとは きいて のちに われを うとめ.
心 有らん 人は 聞いて 後に 我を 外め.

とうて いわく まつだい しょしんの ぎょうじゃ なにものをか せいし するや.
問うて 云く 末代 初心の 行者 何物をか 制止 するや.

こたえて いわく だんかい とうの ごどを せいしして いっこうに なんみょうほうれんげきょうと となえ せしむるを.
答えて 曰く 檀戒 等の 五度を 制止して 一向に 南無妙法蓮華経と 称 せしむるを.

いちねんしんげ しょずいきの きぶんと なすなり.
一念信解 初随喜の 気分と 為すなり.

これ すなわち この きょうの ほんい なり.
是れ 則ち 此の 経の 本意 なり.

うたがって いわく この ぎ いまだ けんぶん せず.
疑つて 云く 此の 義 未だ 見聞 せず.

こころを おどろかし みみを まどわす.
心を 驚かし 耳を 迷わす.

あきらかに しょうもんを ひいて こう ねんごろに これを しめせ.
明かに 証文を 引て 請う 苦に 之を 示せ.

こたえて いわく きょうに いわく.
答えて 曰く 経に 云く.

「すべからく わが ために また とうじを たて.
「須く 我が 為に 復た 塔寺を 起て.

および そうぼうを つくり しじを もって しゅうそうを くようする こと をもちいざれ」.
及び 僧坊を 作り 四事を 以て 衆僧を 供養する こと をもちいざれ」.

この きょうもん あきらかに しょしんの ぎょうじゃに だんかい とうの 5どを せいし する もん なり.
此の 経文 明かに 初心の 行者に 檀戒 等の 五度を 制止 する 文 なり.

うたがって いわく なんじが ひく とことの きょうもんは.
疑つて 云く 汝が 引く 所の 経文は.

ただ じとうと しゅうそうと ばかりを せいしして いまだ もろもろの かい とうに およばざるか.
但 寺塔と 衆僧と 計りを 制止して 未だ 諸の 戒 等に 及ばざるか.

こたえて いわく はじめを あげて のちを りゃくす.
答えて 曰く 初を 挙げて 後を 略す.

とうて いわく なにを もって これを しらん.
問て 曰く 何を 以て 之を 知らん.

こたえて いわく つぎしもの だい4ほんの きょうもんに いわく.
答えて 曰く 次下の 第四品の 経文に 云く.

「いわんや また ひと あって よく この きょうを たもちて.
「況や 復 人 有つて 能く 是の 経を 持ちて.

かねて ふせ じかい とうを ぎょうぜんをや」うんぬん.
兼ねて 布施 持戒 等を 行ぜんをや」云云.

きょうもん ふんみょうに はじめ 2 3ほんの ひとには だんかいとうの ごどを せいし.
経文 分明に 初 二 三品の 人には 檀戒 等の 五度を 制止し.

だい4ほんに いたって はじめて これを ゆるす.
第四品に 至つて 始めて 之を 許す.

のちに ゆるすを もって しんぬ はじめに せいする ことを.
後に 許すを 以て 知んぬ 初に 制する 事を.

とうて いわく きょうもん いちおう あいにたり はたまた じょしゃく ありや.
問うて 曰く 経文 一往 相似たり 将た 又 疏釈 有りや.

こたえて いわく なんじが たづぬる ところの しゃくとは がっししえの ろんか.
答えて 曰く 汝が 尋ぬる 所の 釈とは 月氏四依の 論か.

はたまた かんど にほんの にんしの しょか.
将た又 漢土 日本の 人師の 書か.

ほんを すて まつを たずね からだを はなれて かげを もとめ.
本を 捨て 末を 尋ね 体を 離れて 影を 求め.

みなもとを わすれて ながれを とうとぶ.
源を 忘れて 流を 貴ぶ.

ふんみょう なる きょうもんを さしおいて ろんしゃくを こい たずぬ ほんきょうに.
分明 なる 経文を 閣いて 論釈を 請い 尋ぬ 本経に.

そうい する まっしゃく あらば ほんきょうを すてて まっしゃくに つくべきか.
相違 する 末釈 有らば 本経を 捨てて 末釈に 付く可きか.

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しかりと いえども このみに したがって これを しめさん.
然りと 雖も 好みに 随て 之を 示さん.

もんぐの 9に いわく.
文句の 九に 云く.

「しょしんは えんに ふんどう せられて しょうぎょうを しゅうするを さまたげん ことを おそる.
「初心は 縁に 紛動 せられて 正業を 修するを 妨げん ことを 畏る.

ただちに もっぱら この きょうを たもつ すなわち じょうくよう なり.
直ちに 専ら 此の 経を 持つ 即ち 上供養 なり.

じを はいして りを そんするは しょえき ぐた なり」と.
事を 廃して 理を 存するは 所益 弘多 なり」と.

この しゃくに えんと いうは 5ど なり.
此の 釈に 縁と 云うは 五度 なり.

しょしんの もの かねて 5どを ぎょうずれば しょうぎょうの しんを さまたぐる なり.
初心の 者 兼ねて 五度を 行ずれば 正業の 信を 妨ぐる なり.

たとえば こぶねに たからを つんで うみを わたるに たからと ともに ぼっするが ごとし.
譬えば 小船に 財を 積んで 海を 渡るに 財と 倶に 没するが 如し.

じきせんじしきょうと いうは いっきょうに わたるに あらず.
直専持此経と 云うは 一経に 亘るに 非ず.

もっぱら だいもくを たもって よもんを まじえず.
専ら 題目を 持つて 余文を 雑えず.

なお いっきょうの どくじゅだも ゆるさず.
尚 一経の 読誦だも 許さず.

いかに いわんや 5どをや.
何に 況や 五度をや.

「はいじぞんり」と いうは かいとうの じを すてて だいもくの りを もっぱらにす うんぬん.
「廃事存理」と 云うは 戒 等の 事を 捨てて 題目の 理を 専らにす 云云.

しょえきぐたとは しょしんの もの しょぎょうと だいもくと ならび ぎょうずれば しょえき まったく うしなうと うんぬん.
所益弘多とは 初心の 者 諸行と 題目と 並び 行ずれば 所益 全く 失うと 云云.

もんぐに いわく「とう もし しからば きょうを たもつは すなわち これ だいいちぎの かい なり.
文句に 云く「問う 若 爾らば 経を 持つは 即ち 是れ 第一義の 戒 なり.

なにが ゆえぞ また よく かいを たもつ ものと いうや.
何が 故ぞ 復 能く 戒を 持つ 者と 言うや.

こたう これは しょほんを あかす.
答う 此は 初品を 明かす.

のちを もって なんを なすべからず」とう うんぬん.
後を 以て 難を 作すべからず」等 云云.

とうせの がくしゃ この しゃくを みずして まつだいの ぐにんを もって なんがく てんだいの にしょうに どうず.
当世の 学者 此の 釈を 見ずして 末代の 愚人を 以て 南岳 天台の 二聖に 同ず.

あやまりの なかの あやまり なり.
誤りの 中の 誤り なり.

みょうらく かさねて これを あかして いわく.
妙楽 重ねて 之を 明して 云く.

「とう もし しからば もし じの とう および しきしんの ほねを もちいず.
「問う 若し 爾らば 若し 事の 塔 及び 色身の 骨を 須いず.

なお すべからく じの かいを たもつ べからざるべし.
亦 須く 事の 戒を 持つ べからざるべし.

ないし じの そうを くよう することを もちいざるや」とう うんぬん.
乃至 事の 僧を 供養 することを 須いざるや」等 云云.

でんぎょうだいしの いわく.
伝教大師の 云く.

「250かい たちまちに すて おわんぬ」.
「二百五十戒 忽に 捨て 畢んぬ」.

ただ きょうだいし ひとりに かぎるに あらず.
唯 教大師 一人に 限るに 非ず.

がんじんの でし にょほう どうちゅう ならびに しちだいじ とう いちどうに すて おわんぬ.
鑒真の 弟子 如宝 道忠 並びに 七大寺 等 一同に 捨て 了んぬ.

また きょうだいし みらいを いましめて いわく.
又 教大師 未来を 誡めて 云く.

「まっぽうの なかに じかいの もの あらば これ かいい なり.
「末法の 中に 持戒の 者 有らば 是れ 怪異 なり.

いちに とら あるがごとし これ だれか しんずべき」うんぬん.
市に 虎 有るが如し 此れ 誰か 信ず可き」云云.

とう なんじ なんぞ いちねん3000の かんもんを かんじん せず ただ だいもく ばかりを となえ しむるや.
問う 汝 何ぞ 一念三千の 観門を 勧進 せず 唯 題目 許りを 唱え しむるや.

こたえて いわく にほんの にじに66こくの じんちく たからを しょうじんして ひとつも のこさず.
答えて 曰く 日本の 二字に 六十六国の 人畜 財を 摂尽して 一も 残さず.

がっしの りょうじに あに 70かこく なからんや.
月氏の 両字に 豈 七十ケ国 無からんや.

みょうらくの いわく「りゃくして きょうだいを あぐるに はるかに いちぶを おさむ」.
妙楽の 云く「略して 経題を 挙ぐるに 玄に 一部を 収む」.

また いわく「りゃくして かいにょを あぐるに つぶさに 3000を せっす」.
又 云く「略して 界如を 挙ぐるに 具さに 三千を 摂す」.

もんじゅしりぼさつ あなんそんじゃ 3ね 8ねんの あいだの ぶつご これを あげて.
文殊師利菩薩 阿難尊者 三会 八年の 間の 仏語 之を 挙げて.

みょうほうれんげきょうと だいし つぎしもに りょうげして いわく.
妙法蓮華経と 題し 次下に 領解して 云く.

「にょぜがもん」と うんぬん.
「如是我聞」と 云云.

とう その ぎを しらざる ひと ただ なんみょうほうれんぎょうと となうるに げぎの くどくを ぐするや いなや.
問う 其の 義を 知らざる 人 唯 南無妙法蓮華経と 唱うるに 解義の 功徳を 具するや 否や.

こたう しょうに ちちを ふくむに その あじを しらざれども じねんに みを やくす.
答う 小児 乳を 含むに 其の 味を 知らざれども 自然に 身を 益す.

ぎばが みょうやく だれか わきまえて これを ふくせん.
耆婆が 妙薬 誰か 弁えて 之を 服せん.

みず こころ なけれども ひを けし ひものを やく.
水 心 無けれども 火を 消し 火物を 焼く.

あに さとり あらんや.
豈 覚 有らんや.

りゅうじゅ てんだい みな この こころ なり かさねて しめすべし.
竜樹 天台 皆 此の 意 なり 重ねて 示す可し.

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とう なにが ゆえぞ だいもくに ばんぽうを ふくむや.
問う 何が 故ぞ 題目に 万法を 含むや.

こたう しょうあんの いわく「けだし じょおうとは きょうの げんいを じょす.
答う 章安の 云く「蓋し 序王とは 経の 玄意を 叙す.

げんいは もんの こころを じゅっす.
玄意は 文の 心を 述す.

もんの こころは しゃく ほんに すぎたるは なし」.
文の 心は 迹 本に 過ぎたるは 莫し」.

みょうらくの いわく「ほっけの もん こころを いだして しょきょうの  ゆえんを べんず」うんぬん.
妙楽の 云く「法華の 文 心を 出して 諸教の 所以を 弁ず」云云.

じょくすい こころ なけれども つきを えて みずから すめり.
濁水 心 無けれども 月を 得て 自ら 清めり.

そうもく あめを え あに さとり あって はなさく ならんや.
草木 雨を 得 豈 覚 有つて 花さく ならんや.

みょうほうれんげきょうの 5じは きょうもんに あらず.
妙法蓮華経の 五字は 経文に 非ず.

その ぎに あらず ただ いちぶの い なるのみ.
其の 義に 非ず 唯 一部の 意 なるのみ.

しょしんの ぎょうじゃ その こころを しらざれども.
初心の 行者 其の 心を 知らざれども.

しかも これを ぎょうずるに しぜんに いに あたるなり.
而も 之を 行ずるに 自然に 意に 当るなり.

とう なんじが でし いちぶんの げ なくして.
問う 汝が 弟子 一分の 解 無くして.

ただ ひとくちに なんみょうほうれんげきょうと しょうする その くらい いかん.
但 一口に 南無妙法蓮華経と 称する 其の 位 如何.

こたう この ひとは ただ しみさんきょうの ごくい ならびに にぜんの えんにんに ちょうか するのみに あらず.
答う 此の 人は 但 四味 三教の 極位 並びに 爾前の 円人に 超過 するのみに 非ず.

はたまた しんごん とうの しょしゅうの がんそ い ごん おん ぞう せん ま どうらに しょうしゅつ すること ひゃく1000まんおくばい なり.
将た又 真言 等の 諸宗の 元祖 畏 厳 恩 蔵 宣 摩 導等に 勝出すること 百千万億倍 なり.

こう くにじゅうの しょにん わが まってい とうを かろんずる ことなかれ.
請う 国中の 諸人 我が 末弟 等を 軽ずる 事勿れ.

すすんで かこを たずぬれば 80まんおくこうに くようせし だいぼさつ なり.
進んで 過去を 尋ぬれば 八十万億劫に 供養せし 大菩薩 なり.

あに きれん いちごうの ものに あらずや.
豈 熈連 一恒の 者に 非ずや.

しりぞいて みらいを ろんずれば 80ねんの ふせに ちょうかして 50の くどくを そなうべし.
退いて 未来を 論ずれば 八十年の 布施に 超過して 五十の 功徳を 備う可し.

てんしの むつきに まとわれ だいりゅうの はじめて しょうずるが ごとし.
天子の 襁褓に 纒れ 大竜の 始めて 生ずるが 如し.

べつじょ すること なかれ べつじょ すること なかれ.
蔑如 すること 勿れ 蔑如 すること 勿れ.

みょうらくの いわく「もし のうらん する ものは こうべ しちぶんに われ.
妙楽の 云く「若し 悩乱 する 者は 頭 七分に 破れ.

くよう すること ある ものは ふくじゅうごうに すぐ」と.
供養 すること 有る 者は 福十号に 過ぐ」と.

うだえんおうは びんずるそんじゃを べつじょして しちねんの うちに みを そうしつし.
優陀延王は 賓頭盧尊者を 蔑如して 七年の 内に 身を 喪失し.

そうしゅうは にちれんを るざいして ひゃくにちの うちに へいらんに あえり.
相州は 日蓮を 流罪して 百日の 内に 兵乱に 遇えり.

きょうに いわく「もし また この きょうてんを じゅじする ものを みて その かあくを いださん.
経に 云く「若し 復 是の 経典を 受持する 者を 見て 其の 過悪を 出さん.

もしは じつにも あれ もしは ふじつにも あれ この ひと げんせにびゃくらいの やまいを えん.
若は 実にも あれ 若は 不実にも あれ 此の 人 現世に 白癩の 病を 得ん.

ないし しょあく じゅうびょう あるべし」.
乃至 諸悪 重病 あるべし」.

いわく「まさに せぜに まなこ なかるべし」とう うんぬん.
又云く「当に 世世に 眼 無かるべし」等 云云.

みょうしんと えんちとは げんに びゃくらいを え どうあみは むげんの ものと なりぬ.
明心と 円智とは 現に 白癩を 得 道阿弥は 無眼の 者と 成りぬ.

くにじゅうの やくびょうは ずはしちぶん なり.
国中の 疫病は 頭破七分 なり.

ばちを もって とくを すいするに わが もんじんらは ふくか10ごう うたがいなき ものなり.
罰を 以て 徳を 推するに 我が 門人等は 福過十号 疑い無き 者なり.

それ にんのう 30だい きんめいの ぎょうに はじめて ぶっぽう わたりし いらい.
夫れ 人王 三十代 欽明の 御宇に 始めて 仏法 渡りし 以来.

かんむの ぎょうに いたるまで 20だい 200よねんの あいだ.
桓武の 御宇に 至るまで 二十代 二百余年の 間.

6しゅう ありと いえども ぶっぽう いまだ さだまらず.
六宗 有りと 雖も 仏法 未だ 定らず.

ここに えんりゃく ねんちゅうに ひとりの しょうにん あって この くにに しゅつげん せり.
爰に 延暦 年中に 一りの 聖人 有つて 此の 国に 出現 せり.

いわゆる でんぎょうだいし これなり.
所謂 伝教大師 是なり.

この ひと さきより ぐつうする 6しゅうを きゅうめいし.
此の 人 先きより 弘通する 六宗を 糾明し.

しちじを でしと なして ついに えいざんを たてて ほんじと なし.
七寺を 弟子と 為して 終に 叡山を 建てて 本寺と 為し.

しょしゅうを とって まつじと なす.
諸寺を 取つて 末寺と 為す.

にほんの ぶっぽう ただ いちもん なり.
日本の 仏法 唯 一門 なり.

おうほうも ふたつに あらず.
王法も 二に 非ず.

ほう さだまり くに すめり.
法 定まり 国 清めり.

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その こうを ろんぜば みなもと いこんとうの もん より いでたり.
其の 功を 論ぜば 源 已今当の 文 より 出でたり.

その のち こうぼう じかく ちしょうの 3だいし ことを かんどに よせて.
其の 後 弘法 慈覚 智証の 三大師 事を 漢土に 寄せて.

だいにちの 3ぶは ほけきょうに まさると おもい.
大日の 三部は 法華経に 勝ると 謂い.

あまつさえ きょうだいしの けずる ところの しんごんしゅうの しゅうの いちじ.
剰さえ 教大師の 削ずる 所の 真言宗の 宗の 一字.

これを そえて はっしゅうと うんぬん.
之を 副えて 八宗と 云云.

3にん いちどうに ちょくせんを もうして にほんに ぐつうし.
三人 一同に 勅宣を 申し 下して 日本に 弘通し.

てら ごとに ほけきょうの ぎを やぶる.
寺 毎に 法華経の 義を 破る.

これ ひとえに いこんとうの もんを やぶらんと なして.
是 偏に 已今当の 文を 破らんと 為して.

しゃか たほう じっぽうの しょぶつの だいおんてきと なりぬ.
釈迦 多宝 十方の 諸仏の 大怨敵と 成りぬ.

しかして のち ぶっぽう ようやく すたれ おうほう しだいに おとろえ.
然して 後 仏法 漸く 廃れ 王法 次第に 衰え.

てんしょうだいじん しょうはちまん とうの くじゅうの しゅごしんは ちからを うしない.
天照太神 正八幡等の 久住の 守護神は 力を 失い.

ぼんたいしてんは くにを さって すでに ぼうこくと ならんとす.
梵帝四天は 国を 去つて 已に 亡国と 成らんとす.

こころ あらん ひと だれか いたみ なげかざらんや.
情 有らん 人 誰か 傷み 嗟かざらんや.

しょせん 3だいしの じゃほうの おこる ところは.
所詮 三大師の 邪法の 興る 所は.

いわゆる とうじと えいざんの そうじいんと おんじょうじの 3しょ なり.
所謂 東寺と 叡山の 総持院と 園城寺との 三所 なり.

きんし せずんば こくどの めつぼうと しゅじょうの あくどうと うたがい なきものか.
禁止 せずんば 国土の 滅亡と 衆生の 悪道と 疑い 無き者か.

よ ほぼ この むねを かんがえ こくしゅに しめすと いえども あえて じょよう なし.
予 粗 此の 旨を 勘え 国主に 示すと 雖も 敢て 叙用 無し.

かなしむべし かなしむべし.
悲む可し 悲む可し.

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