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一生成仏抄
日蓮大 聖人 34歳御作


 
b383

いっしょうじょうぶつ しょう.
一生成仏 抄.

けんちょう7ねん 34さい おんさく.
建長七年 三十四歳 御作.

あたう ときじょうにん.
与 富木常忍.

それ むしの しょうじを とどめて このたび けつじょうして.
夫れ 無始の 生死を 留めて 此の度 決定して.

むじょうぼだいを しょうせんと おもわば.
無上菩提を 証せんと 思はば.

すべからく しゅじょうほんぬの みょうりを かんずべし.
すべからく 衆生本有の 妙理を 観ずべし.

しゅじょうほんぬの みょうりとは みょうほうれんげきょう これなり.
衆生本有の 妙理とは 妙法蓮華経 是なり.

ゆえに みょうほうれんげきょうと となえ たてまつれば.
故に 妙法蓮華経と 唱へ たてまつれば.

しゅじょうほんぬの みょうりを かんずるにて あるなり.
衆生本有の 妙理を 観ずるにて あるなり.

もんりしんせいの きょうおう なれば もんじ そく じっそう なり.
文理真正の 経王 なれば 文字 即 実相 なり.

じっそう そく みょうほう なり.
実相 即 妙法 なり.

ただ しょせん いっしん ほうかいの むねを とき あらわすを みょうほうと なずく.
唯 所詮 一心 法界の 旨を 説き 顕すを 妙法と 名く.

ゆえに この きょうを しょぶつの ちえとは いうなり.
故に 此の 経を 諸仏の 智慧とは 云うなり.

いっしんほうかいの むねとは じっかい 3000の えしょうしきしん ひじょうそうもく.
一心法界の 旨とは 十界 三千の 依正色心 非情草木.

こくう せつど いずれも のぞかず ちりも のこらず.
虚空 刹土 いづれも 除かず ちりも 残らず.

いちねんの こころに おさめて この いちねんの こころ ほうかいに.
一念の 心に 収めて 此の 一念の 心 法界に.

へんまんするを さして ばんぽうとは いうなり.
ヘン満するを 指して 万法とは 云うなり.

この ことわりを かくち するを いっしんほうかいとも いうなるべし.
此の 理を 覚知 するを 一心法界とも 云うなるべし.

ただし みょうほうれんげきょうと となえ たもつと いうとも.
但し 妙法蓮華経と 唱へ 持つと 云うとも.

もし こしんの ほかに ほうありと おもわば まったく みょうほうに あらず そほう なり.
若し 己心の 外に 法ありと 思はば 全く 妙法に あらず ソ法 なり.

そほうは こんきょうに あらず こんきょうに あらざれば ほうべん なり ごんもん なり.
ソ法は 今経に あらず 今経に あらざれば 方便 なり 権門 なり.

ほうべん ごんもんの おしえ ならば じょうぶつの じきどうに あらず.
方便 権門の 教 ならば 成仏の 直道に あらず.

じょうぶつの じきどうに あらざれば たしょう こうごうの しゅぎょうを へて.
成仏の 直道に あらざれば 多生 曠劫の 修行を 経て.

じょうぶつ すべきに あらざる ゆえに いっしょうじょうぶつ かないがたし.
成仏 すべきに あらざる 故に 一生成仏 叶いがたし.

ゆえに みょうほうと となえ れんげと よまん ときは わが いちねんを さして.
故に 妙法と 唱へ 蓮華と 読まん 時は 我が 一念を 指して.

みょうほうれんげきょうと なずくるぞと ふかく しんじんを おこす べきなり.
妙法蓮華経と 名くるぞと 深く 信心を 発す べきなり.

すべて いちだいはちまんの せいきょう さんぜじっぽうの しょぶつ ぼさつも.
都て 一代八万の 聖教 三世十方の 諸仏 菩薩も.

わが こころの ほかに ありとは ゆめゆめ おもうべからず.
我が 心の 外に 有りとは ゆめゆめ 思ふべからず.

しかれば ぶっきょうを ならうと いえども しんしょうを かんぜざれば.
然れば 仏教を 習ふと いへども 心性を 観ぜざれば.

まったく しょうじを はなるる こと なきなり.
全く 生死を 離るる 事 なきなり.

もし しんげに みちを もとめて まんぎょう まんぜんを しゅうせんは.
若し 心外に 道を 求めて 万行 万善を 修せんは.

たとえば びんぐの ひと にちやに となりの たからを かぞえ たれども.
譬えば 貧窮の 人 日夜に 隣の 財を 計へ たれども.

はんせんの とくぶんも なきが ごとし.
半銭の 得分も なきが 如し.

しかれば てんだいの しゃくの なかには.
然れば 天台の 釈の 中には.

もし こころを かんぜざれば じゅうざい めっせずとて.
若し 心を 観ぜざれば 重罪 滅せずとて.

もし こころを かんぜざれば むりょうの くぎょうと なると はんぜり.
若し 心を 観ぜざれば 無量の 苦行と なると 判ぜり.

ゆえに かくの ごときの ひとをば.
故に かくの 如きの 人をば.

ぶっぽうを がくして げどうと なると はずかしめられたり.
仏法を 学して 外道と なると 恥しめられたり.

ここをもって しかんには すいがくぶっきょう げんどう げけんと しゃくせり.
爰を以て 止観には 雖学仏教 還同 外見と 釈せり.

しかるあいだ ほとけの なを となえ きょうかんを よみ はなを ちらし.
然る間 仏の 名を 唱へ 経巻を よみ 華を ちらし.

こうを ひねるまでも みな わが いちねんに おさめたる.
香を ひねるまでも 皆 我が 一念に 納めたる.

くどく ぜんこん なりと しんじんを とるべきなり.
功徳 善根 なりと 信心を 取るべきなり.

これによって じょうみょうきょうの なかには.
之に依つて 浄名経の 中には.

しょぶつの げだつを しゅじょうの しんぎょうに もとめば.
諸仏の 解脱を 衆生の 心行に 求めば.

しゅじょう そく ぼだい なり しょうじ そく ねはん なりと あかせり.
衆生 即 菩提 なり 生死 即 涅槃 なりと 明せり.

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また しゅじょうの こころ けがるれば ども けがれ.
又 衆生の 心 けがるれば 土も けがれ.

こころ きよければ ども きよしとて.
心 清ければ 土も 清しとて.

じょうどと いい えどと いうも どに ふたつの へだて なし.
浄土と 云ひ 穢土と 云うも 土に 二の 隔 なし.

ただ われらが こころの ぜんあくに よると みえたり.
只 我等が 心の 善悪に よると 見えたり.

しゅじょうと いうも ほとけと いうも また かくの ごとし.
衆生と 云うも 仏と 云うも 亦 此くの 如し.

まよう ときは しゅじょうと なずけ さとる ときをば ほとけと なずけたり.
迷う 時は 衆生と 名け 悟る 時をば 仏と 名けたり.

たとえば あんきょうも みがき ぬれば たまと みゆるが ごとし.
譬えば 闇鏡も 磨き ぬれば 玉と 見ゆるが 如し.

ただいまも いちねんむみょうの めいしんは みがかざる かがみ なり.
只今も 一念無明の 迷心は 磨かざる 鏡 なり.

これを みがかば かならず ほっしょうしんにょの みょうきょうと なるべし.
是を 磨かば 必ず 法性真如の 明鏡と 成るべし.

ふかく しんじんを おこして にちやちょうぼに また おこたらず みがくべし.
深く 信心を 発して 日夜朝暮に 又 懈らず 磨くべし.

いかようにしてか みがくべき ただ なんみょうほうれんげきょうと.
何様にしてか 磨くべき 只 南無妙法蓮華経と.

となえ たてまつるを これを みがくとは いうなり.
唱へ たてまつるを 是を みがくとは 云うなり.

そもそも みょうとは なんという こころぞや.
抑 妙とは 何と云う 心ぞや.

ただ わが いちねんの こころ.
只 我が 一念の 心.

ふしぎなる ところを みょうとは いうなり.
不思議なる 処を 妙とは 云うなり.

ふしぎとは こころも およばず ことばも およばずと いう ことなり.
不思議とは 心も 及ばず 語も 及ばずと 云う 事なり.

しかれば すなわち おこるところの いちねんの こころを たずねみれば.
然れば すなはち 起るところの 一念の 心を 尋ね見れば.

ありと いわんと すれば いろも かたちも なし.
有りと 云はんと すれば 色も 質も なし.

また なしと いわんと すれば さまざまに こころ おこる.
又 無しと 云はんと すれば 様様に 心 起る.

うと おもうべきに あらず むと おもうべきにも あらず.
有と 思ふべきに 非ず 無と 思ふべきにも 非ず.

うむの ふたつの ことばも およばず うむの ふたつの こころも およばず.
有無の 二の 語も 及ばず 有無の 二の 心も 及ばず.

うむに あらずして しかも うむに へんして.
有無に 非ずして 而も 有無に ヘンして.

ちゅうどう いちじつの みょうたいにして ふしぎなるを みょうとは なずくる なり.
中道 一実の 妙体にして 不思議なるを 妙とは 名くる なり.

この みょうなる こころを なずけて ほうとも いうなり.
此の 妙なる 心を 名けて 法とも 云うなり.

この ほうもんの ふしぎを あらわすに.
此の 法門の 不思議を あらはすに.

たとえを じほうに かたどりて れんげと なずく.
譬を 事法に かたどりて 蓮華と 名く.

いっしんを みょうと しりぬれば また てんじて よしんをも みょうほうと.
一心を 妙と 知りぬれば 亦 転じて 余心をも 妙法と.

しる ところを みょうきょうとは いうなり.
知る 処を 妙経とは 云うなり.

しかれば すなわち ぜんあくに ついて おこり おこる ところの.
然れば すなはち 善悪に 付いて 起り 起る 処の.

ねんしんの とうたいを さして これ みょうほうの たいと.
念心の 当体を 指して 是れ 妙法の 体と.

とき のべたる きょうおう なれば じょうぶつの じきどうとは いうなり.
説き 宣べたる 経王 なれば 成仏の 直道とは 云うなり.

この むねを ふかく しんじて みょうほうれんげきょうと となえば.
此の 旨を 深く 信じて 妙法蓮華経と 唱へば.

いっしょうじょうぶつ さらに うたがい ある べからず.
一生成仏 更に 疑 ある べからず.

ゆえに きょうもんには.
故に 経文には.

わが めつどの のちに おいて まさに この きょうを じゅじ すべし.
我が 滅度の 後に 於て 応に 斯の 経を 受持 すべし.

この ひと ぶつどうに おいて けつじょうして うたがい あること なけんと のべたり.
是の 人 仏道に 於て 決定して 疑 有る事 無けんと のべたり.

ゆめゆめ ふしんを なすべからず.
努努 不審を なすべからず.

あなかしこ あなかしこ.
穴賢 穴賢.

いっしょうじょうぶつの しんじん.
一生成仏の 信心.

なんみょうほうれんげきょう なんみょうほうれんげきょう.
南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経.

にちれん かおう.
日蓮 花押.

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