b965から967.
法華行者逢難事 (ほっけぎょうじゃ ほう なんじ)
別名、法華行者値難事 (ほっけぎょうじゃ ち なんじ).
日蓮大聖人 53歳 御作.

 

b965

ほっけぎょうじゃ ほう なんじ.
法華行者 逢 難事.

ぶんえい 11ねん しょうがつ 53さい おんさく.
文永 十一年 正月 五十三歳 御作.

あたう ときじょうにん.
与 富木常忍.

かわのべどの とうちゅう.
河野辺殿 等中.

やまとあじゃりごぼう おんちゅう.
大和阿闍梨御房 御中.

いっさい わがでし とうちゅう.
一切 我弟子 等中.

さぶろうざえもんのじょう どの.
三郎左衛門尉 殿

きんじょう にちれん.
謹上 日蓮.

ときどの.
富木殿.

おって もうす.
追て 申す.

りゅうじゅ てんじんは ともに 1000ぶの ろんし なり.
竜樹 天親は 共に 千部の 論師 なり.

ただ ごんだいじょうを のべて ほけきょうをば こころに そんして くちに はき たまわず.
但 権大乗を 申べて 法華経をば 心に 存して 口に 吐き たまわず.

ここに くでん あり.
此に 口伝 有り.

てんだい でんぎょうは これを のべて.
天台 伝教は 之を 宣べて.

ほんもんの ほんぞんと しぼさつと かいだんと なんみょうほうれんげきょうの 5じと これを のこし たもう.
本門の 本尊と 四菩薩と 戒壇と 南無妙法蓮華経の 五字と 之を 残したもう.

しょせん いちには ほとけ じゅよし たまわざるが ゆえに.
所詮 一には 仏 授与し たまわざるが 故に.

2には じき みじゅくの ゆえ なり.
二には 時機 未熟の 故 なり.

いま すでに とき きたれり.
今 既に 時 来れり.

しぼさつ しゅつげんし たまわんか.
四菩薩 出現し たまわんか.

にちれん このこと まず これを しりぬ.
日蓮 此の事 先ず 之を 知りぬ.

せいおうぼの せんそうには せいちょう きゃくじんの らいそうには かんじゃく これなり.
西王母の 先相には 青鳥・ 客人の 来相には カン鵲 是なり.

おのおの わが でし たらんものは ふかく この よしを ぞんぜよ.
各各 我が 弟子 たらん者は 深く 此の 由を 存ぜよ.

たとい しんみょうに およぶとも たいてん すること なかれ.
設い 身命に 及ぶとも 退転 すること 莫れ.

とき さぶろうざえもんのじょう かわのべ やまとあじゃり とう とのばら.
富木・ 三郎左衛門の 尉・ 河野辺・ 大和阿闍梨 等・ 殿原・.

ごぼうたち おのおの おたがいに よみ きけ まいらせさせ たまえ.
御房達 各各 互に 読 聞け まいらせさせ 給え.

かかる じょくせには おたがいに つねに いいあわせて ひまも なく.
かかる 濁世には 互に つねに いゐあわせて ひまも なく.

ごせ ねがわせ たまい そうらえ.
後世 ねがわせ 給い 候へ.

ほけきょうの だい4に いわく.
法華経の 第四に 云く.

「にょらいの げんざい すら なお おんしつ おおし いわんや めつどの のちをや」とう うんぬん.
「如来の 現在 すら 猶 怨嫉 多し 況や 滅度の 後をや」等 云云.

どう だい5に いわく.
同 第五に 云く.

「いっさいせけん あだ おおくして しんじ がたし」と うんぬん.
「一切世間 怨 多くして 信じ 難し」等 云云.

ねはんぎょうの 38に いわく.
槃経の 三十八に 云く.

「その ときに げどうに むりょうの ひと あり.
「爾の 時に 外道に 無量の 人 有り.

こころ しんにを しょうず」とう うんぬん.
心 瞋恚を 生ず」等 云云.

→a965

b966

また いわく「その ときに おおく むりょうの げどう あり.
又 云く「爾の 時に 多く 無量の 外道 有り.

わごうして ともに まかだのおう あじゃせの まえに ゆきぬ.
和合して 共に 摩伽陀の王・ 阿闍世の 前に 往きぬ.

いまは ゆいいつ だいあくにん あり くどんしゃもん なり.
今は 唯一 大悪人 有り 瞿曇沙門 なり.

おう いまだ けんぎょう せず われら はなはだ おそる.
王 未だ 検校 せず 我等 甚だ 畏る.

いっさいせけんの あくにん りようの ための ゆえに.
一切世間の 悪人 利養の 為の 故に.

その ところに おうじゅうして けんぞくと なる.
其の 所に 往集して 眷属と 為る.

ないし かしょう しゃりほつ もっけんれん」とう うんぬん.
乃至 迦葉 舎利弗 目健連」等 云云.

にょらい げんざい ゆたおんしつの こころ これなり.
如来 現在 猶多怨嫉の 心 是なり.

とくいち だいとく てんだいちしゃを めりして いわく.
得一 大徳 天台智者 大師を 罵詈して 曰く.

「ちこう なんじは これ だれが でしぞ.
「智公 汝は 是れ 誰が 弟子ぞ.

さんずんに たらざる ぜっこんを もって ふめんぜつの しょせつの きょうじを ぼうず」.
三寸に 足らざる 舌根を 以て 覆面舌の 所説の 教時を 謗ず」.

また いわく「あに これ てんきょうの ひとに あらずや」とう うんぬん.
又 云く「豈 是れ 顛狂の 人に 不ずや」等 云云.

なんと しちだいじの こうとくじ ごみょうそうず けいしんりっし など 300よにん.
南都 七大寺の 高徳寺・ 護命僧都・ 景信律師 等 三百余人.

でんぎょうだいしを めりして いわく.
伝教大師を 罵詈して 曰く.

「せいかに きべんばらもん あり.
「西夏に 鬼弁婆羅門 有り.

とうどに ぎょうげんを はく とくず しゃもん あり.
東土に 巧言を 吐く 禿頭 沙門 あり.

これ すなわち ぶつるいみょうしょうして せけんを おうわくす」とう うんぬん.
此れ 乃ち 物類冥召して 世間を 誑惑す」等 云云.

しゅうくに いわく「あさきは やすく ふかきは かたしとは しゃかの しょはん なり.
秀句に 云く「浅きは 易く 深きは 難しとは 釈迦の 所判 なり.

あさきを さって ふかきに つくは じょうぶの こころ なり.
浅きを 去つて 深きに 就くは 丈夫の 心 なり.

てんだいだいしは しゃかに しんじゅんし ほけきょうを たすけて しんたんに ふようし.
天台大師は 釈迦に 信順し 法華宗を 助けて 震旦に 敷揚し.

えいざんの いっかは てんだいに そうじょうし ほけきょうを たすけて にほんに ぐつうす」 うんぬん.
叡山の 一家は 天台に 相承し 法華宗を 助けて 日本に 弘通 す」 云云.

それ ざいせと めつごと しょうぞう 2000ねんの あいだに.
夫れ 在世と 滅後と 正像 二千年の 間に.

ほけきょうの ぎょうじゃ ただ 3にん あり.
法華経の 行者 唯 三人 有り.

いわゆる ほとけと てんだい でんぎょうと なり.
所謂 仏と 天台 伝教と なり.

しんごんしゅうの ぜんむい ふくう とう けごんしゅうの とじゅん ちごん とう さんろん ほっそう とうの にんしらは.
真言宗の 善無畏 不空 等・ 華厳宗の 杜順 智儼 等・ 三論 法相 等の 人師等は.

じっきょうの もんを えして ごんの ぎに じゅんぜしむる ひとびと なり.
実経の 文を 会して 権の 義に 順ぜしむる 人人 なり.

りゅうじゅ てんじん とうの ろんしは うちに かんがみて そとに はっせざる ろんし なり.
竜樹 天親 等の 論師は 内に 鑒みて 外に 発せざる 論師 なり.

きょうの ごとく せんでん する こと しょうほうの しえも てんだい でんぎょうには しかず.
経の 如く 宣伝 する こと 正法の 四依も 天台 伝教には 如かず.

しかるに ぶっきの ごとくんば まっぽうに いって ほけきょうの ぎょうじゃ あるべし.
而るに 仏記の 如くんば 末法に 入つて 法華経の 行者 有る可し.

その ときの だいなん ざいせに ちょうかせんと うんぬん.
其の 時の 大難 在世に 超過せんと 云云.

ほとけに くおうの だいなん あり.
仏に 九横の 大難 有り.

いわゆる そんだりの そしりと こんずと めみゃくと るりの しゃくを ころすと.
所謂 孫陀利の 謗と 金鏘と 馬麦と 琉璃の 釈を 殺すと.

こつじきくうはつと せんしゃにょの そしりと ちょうだつが やまを おすと かんぷうに ころもを もとむると なり.
乞食空鉢と 旃遮女の 謗と 調達が 山を 推すと 寒風に 衣を 索むると なり.

その うえ いっさい げどうの ざんそう かみに ひくが ごとし.
其の 上 一切 外道の 讒奏 上に 引くが 如し.

きもんの ごとくんば てんだい でんぎょうも ぶっきに およばず.
記文の 如くんば 天台 伝教も 仏記に 及ばず.

これを もって これを あんずるに まっぽうの はじめに.
之を 以て 之を 案ずるに 末法の 始に.

ぶっせつの ごとく ぎょうじゃ よに しゅつげんせんか.
仏説の 如く 行者 世に 出現せんか.

しかるに ぶんえい 10ねん 2がつ なのか.
而るに 文永 十年 十二月 七日.

むさしのぜんじどの より さどのくにへ くだす じょうに いわく.
武蔵の前司殿 より 佐土の国へ 下す 状に 云く.

じはん これ あり.
自判 之 在り.

さどのくにの るにんの そう にちれん でし とうを.
佐渡の国の 流人の 僧 日蓮 弟子 等を.

いんそつし あくぎょうを たくらむの よし その きこえ あり.
引率し 悪行を 巧むの 由 其の 聞え 有り.

しょぎょうの くわだて はなはだ もって きっかいなり.
所行の 企て 甚だ 以て 奇怪なり.

いまより いご かの そうに あい したがわん.
今より 以後 彼 僧に 相い 随わん.

やからに おいては へいかいを くわえしむべし.
輩に 於ては 炳誡を 加えしむ可し.

→a966

b967

なお もって いはん せしめば きょうみょうを ちゅうしん せらる べきの よしの ところに そうろうなり.
猶 以て 違犯 せしめば 交名を 注進 せらる 可きの 由の 所に 候なり.

よって しったつくだんの ごとし.
仍て 執達件の 如し.

ぶんえい 10ねん 2がつ なのか しゃもん かんえ たてまつる.
文永 十年 十二月 七日 沙門 観恵 上る.

えちのろくろうざえもんのじょう とう うんぬん.
依智六郎左衛門尉 等 云云.

この じょうに いわく あくぎょうを たくらむ とう うんぬん.
此の 状に 云く 悪行を 巧む 等 云云.

げどうが いわく くどんは だいあくにん なり とう うんぬん.
外道が 云く 瞿曇は 悪人 なり 等 云云.

また くおうの なん いちいちに これ あり.
又 九横の 難 一一に 之 在り.

いわゆる るりせっしゃくと こつじきくうはつと かんぷうさくいとは.
所謂 琉璃殺釈と 乞食空鉢と 寒風索衣とは.

ぶっせに ちょうかせる だいなん なり.
仏世に 超過せる 大難 なり.

おそらくは てんだい でんぎょうも いまだ この なんに あい たまわず.
恐くは 天台 伝教も 未だ 此の 難に 値い たまわず.

まさに しるべし 3にんに にちれんを いれ.
当に 知るべし 三人に 日蓮を 入れ.

よにんと なして ほけきょうの ぎょうじゃ まっぽうに あるか.
四人と 為して 法華経の 行者 末法に 有るか.

よろこばしいかな きょうめつどごの きもんに あたれり.
喜い哉 況滅度後の 記文に 当れり.

かなしいかな くにじゅうの しょにん あびじごくに いらんこと.
悲い哉 国中の 諸人 阿鼻獄に 入らんこと.

しげきを いとうて これを しさいに しるさず.
茂きを 厭うて 之を 子細に 記さず.

こころを もって これを すいせよ.
心を 以て 之を 推せよ.

ぶんえい 11ねん きのえいぬ しょうがつ じゅうよっか.
文永 十一年 甲戌 正月 十四日.

にちれん かおう.
日蓮 花押.

いっさいの しょにん これを けんもんし.
一切の 諸人 之を 見聞し.

こころざし あらん ひとびとは たがいに これを かたれ.
志 有らん 人人は 互に 之を 語れ.

→a967

 
→a965
→c965
 ホームページトップ
inserted by FC2 system