c
1317.
阿仏房御返事(あぶつぼう ごへんじ) 背景と大意.

 
 
a
けんじ 3ねん (1277ねん) 6がつ みっか、にちれんだいしょうにん 56さいの おんとき、さどの あぶつぼうに あたえられた ごしょ。
だいしょうにんの ごびょうきに ことよせられ、しょうろうびょうし、しょうじゅういめつの きょうもんを いんようされ、せいを うけて おいた ならば、やまいと しが あるのは とうぜんで あり、じぶんも やまいを えたから しも また とうぜんで ある。
しかし、ねはんきょうに「しょうめつ、めっし おわれば じゃくめつを らくと なす」と とかれているように、さんどくに つつまれた みを すてて、ぶっしんを うけるので あるから、しも けして なげく べきでは ないと のべられて いる。



b
健治 3年(1277年)6月3日、日蓮大聖人 56歳の御時、佐渡の阿仏房に与えられた御書。
大聖人自身の御病気に事寄せられ、生老病死、生住異滅(しょうじゅういめつ)の経文を引用され、生を受けて老いたならば、病と死があるのは当然であり、自分も病を得たから死もまた当然である。しかし、涅槃経に「生滅滅已・ 寂滅為楽」(生滅、滅しおわれば、寂滅を楽と為す)と説かれるように、三毒に包まれた身を棄てて、仏身を受けるのであるから、死も決して嘆くべきではないと述べられている。

 
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