c
1331.
中興入道消息 (なかおきにゅうどう しょうそく) 背景と大意.

 
 
a
こうあん2ねん (1279ねん)、にちれんだいしょうにん 58さいの おんとき、さどの なかおきにゅうどうが みのぶを おとずれた さいに あたえられた ごしょ。
はじめに にほんへの ぶっきょうでんらいを かたられ、つぎに にちれんだいしょうにんが それまで ひとりも となえられなかった なんみょうほうれんげきょうの だいもくを となえ、とうじ にほんじゅうに ひろまって いた ねんぶつをは しゃ くしたため はくがいに あったが、27ねんかん たいてん することなく みょうほうを といて きたので、いまや にほんで 10ぶんの 1の ひとびとが だいもくを となえる までに なったと のべられて いる。
だいしょうにんが さどるざいの とき、こ じろうにゅうどうを だいしょうにんが ようごしたが、 その あとを けいしょうした なかおきふうふの しんじんを たたえられている。



b
弘安2年(1279年)、日蓮大聖人 58歳の御時、佐渡の中興入道が身延を訪れた際に与えられた御書。
はじめに日本への仏教伝来を語られ、次に日蓮大聖人がそれまで一人も唱えられなかった南無妙法蓮華経の題目を唱え、当時日本中に広まっていた念仏を破折したため迫害にあったが、27年間退転なく妙法を説いてきたので、今や日本で十分の一の人々が題目をとなえるまでになったと述べられている。
大聖人が佐渡流罪のとき、故次郎入道を大聖人を擁護したが、その跡を継承した中興夫妻の信心を讃えられている。

 
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