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1387
松野殿御消息 (別名、宝海梵志事) 背景と大意


 
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ぶんえい 5ねん (1276ねん)、にちれんだいしょうにん 55さいの おんとき、まつのろくろうさえもんにゅうどうに あたえられた ごしょ。
しゃばせかいは、ふぼを ころし、しょうほうを ひぼうし、しょうにんを ころすような だいほうぼうの せかいであり、きゅうさい することが かなわないと いう りゆうから、むじょうねんおうや その 1000のおうじは えどを すてて じょうどへ いった。ただ ひとり、ほうかいぼんじ だけは しゃばせかいに のこり、しゅじょうの きゅうさいを ちかった。
むじょうねんおうは あみだぶつであり、ほうかいぼんじは しゃくそんである。
にちれんだいしょうにんは、しゃばせかいの しゅじょうは しゃくそんの みじょうぶつ とくどう できる ことを のべられている。



b
健治2年(1276年)、日蓮大聖人 55歳の御時、松野六郎左衛門入道に与えられた御書。
娑婆世界は、父母を殺し、正法を誹謗し、 聖人を殺すような大謗法の世界であり、救済することが叶わないという理由から、無諍念王(むじょうねんおう)や千の王子は穢土を捨て浄土へ行った.。だだ一人、宝海梵志(ほうかいぼんじ)だけは娑婆世界に残り、衆生の救済を誓った。
無諍念王は阿弥陀仏であり、宝海梵志は釈尊である。
日蓮大聖人は、娑婆世界の衆生は釈尊によってのみ成仏得道できることを述べられている。


 
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