c
510
当体義抄 (とうたいぎしょう) 背景と大意.

 
 
a
ごじゅっさくの ねんげつ、 あたえられた ひと などは あきらかでない。
さど るざいちゅうの ぶんえい 10ねん (1273ねん)との せつが あり、とうたいぎしょう おくりじょうに 「さいれんぼうに あたえ おわんぬ」(519)と しるされて いる ことから、 さいれんぼうに あたえられた ものと かんがえられるが さだかでは ない。
ほんしょうは 19の もんどう から なっている。
みょうほうの とうたいとは、いちおう、いっさいしゅじょうを ふくむ うちゅうの しんらばんしょうを いうが、「ごんきょうを すてて じっきょうの ほけきょうを しんずる ひと のみが とうたいれんげで あり、いわゆる にちれん だいしょうにんの でし のみが ほんもんの とうたいれんげの ほとけと あらわれると のべられている。
さらに とうたいれんげとは、いんがぐじ、ふしぎの いっぽうを さし、 これを みょうほうれんげきょうと なづけると されている。
つぎに とうたいれんげを しょうとくした ひとを あかし、まっぽうに おいては にちれんだいしょうにんの もんか のみが しょうだいに よって とうたいれんげを しょうとく できると のべられている。



b
御述作の年月、与えられた人などは明らかではない。
佐渡流罪中の文永10年(1273年)との説があり、当体義抄送り状に「最蓮房に伝え畢んぬ」(519)と記されていることから、最蓮房に与えられたものと考えられるが定かではない。
本抄は19の問答からなっている。
妙法の当体とは、一応、一切衆生を含む宇宙の森羅万象をいうが、「権教を捨てて実教の法華経を信ずる人のみが当体蓮華であり、所詮日蓮大聖人の弟子のみが本門の当体蓮華の仏と顕れると述べられている。
さらに当体蓮華とは、因果ぐ時、不思議の一法をさし、これを妙法蓮華と名づけるとされている。
次に当体蓮華を証得した人を明かし、末法においては日蓮大聖人の門下のみが唱題によって当体蓮華を証得できると述べられている。

 
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