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932.
光日上人御返事 (こうにちしょうにん ごへんじ) 背景と大意.

 
 
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こうあん 4ねん(1281ねん)8がつ ようか、にちれんだいしょうにん 60さいの おんとき、あわのくに(ちばけん)の こうにちあまに あたえられた ごしょ。
ほけきょうひぼうの ものは あびじごくに はいる ことを あかされ、わが くにが もうこの せめに あうのは その むくい である。
その なかで、こうにちあまは なくなった むすこと ともに しんじんごうじょうに はげんで こられたから、ぼし ともに りょうぜんじょうどに もうでる ことは うたがいが ないと、 いりょう、おりょう ふしの こじから ごしなん されている。



b
弘安4年(1281年)8月8日、日蓮大聖人 60歳の御時、安房国(千葉県)の光日尼に与えられた御書。
法華経誹謗の者は阿鼻地獄に入ることを明らかにされ、わが国が蒙古の攻めに遭うのはその報いである。
その中で、光日尼は亡くなった息子と共に信心強盛に励んでこられたから、母子共に霊山浄土に詣でることは疑いがないと、遺竜、烏竜父子の故事から御指南されている。

 
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