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秋元殿御返事 (あきもとどの ごへんじ).
日蓮大聖人 50歳 御作.

 

あきもとどの ごへんじ.
秋元殿 御返事.

ぶんえい8ねん しょうがつ 50さい おんさく.
文永 八年 正月 五十歳 御作.

あわ ほたに おいて.
於 安房 保田.

ごもん くわしく うけたまわり そうらい おわんぬ.
御文 委く 承り 候い 畢んぬ.

ごもんに いわく.
御文に 云く.

まつぽうの はじめ 500ねんには いかなる ほうを ひろむべしと おもい まいらせ そうらいしに.
末法の 始 五百年には いかなる 法を 弘むべしと 思ひ まいらせ 候しに.

しょうにんの おおせを うけたまわり そうろうに.
聖人の 仰を 承り 候に.

ほけきょうの だいもくに かぎって ひろむべき よし.
法華経の 題目に 限つて 弘むべき 由.

ちょうもん もうして みでしの いちぶんに さだまり そうろう.
聴聞 申して 御弟子の 一分に 定まり 候.

ことに ごせっくは いかなる ゆらい いかなる しょひょう.
殊に 五節供は いかなる 由来 何なる 所表.

なにを もって しょういとして まつり そうろうべく そうろうや うんぬん.
何を 以て 正意として まつり 候べく 候や 云云.

それ このことは にちれん くわしく しる こと なし.
夫れ 此の 事は 日蓮 委く 知る 事 なし.

しかりと いえども あらあら こころえて そうろう.
然りと 雖も 粗 意得て 候.

こんぽんだいしの ごそうじょう ありげに そうろう.
根本大師の 御相承 ありげに 候.

そうじて しんごん てんだい りょうしゅうの ならい なり.
総じて 真言 天台 両宗の 習 なり.

くわしくは そやどのへ もうし そうろう.
委くは 曾谷殿へ 申 候.

ついでの おんときは ごだんごう あるべきか.
次での 御時は 御談合 あるべきか.

まず ごせっくの しだいを あんずるに.
先ず 五節供の 次第を 案ずるに.

みょうほうれんげきょうの 5じの しだいの まつり なり.
妙法蓮華経の 五字の 次第の 祭 なり.

しょうがつは みょうの いちじの まつり あまてらすおおみかみを としの かみと す.
正月は 妙の 一字の まつり 天照太神を 歳の 神と す.

3がつ みっかは ほうの いちじの まつり なり.
三月 三日は 法の 一字の まつり なり.

たつを もって かみと す.
辰を 以て 神と す.

5がつ いつかは れんの いちじの まつり なり.
五月 五日は 蓮の 一字の まつり なり.

うしを もって かみと す.
午を 以て 神と す.

しちがつ なのかは げの いちじの まつり なり.
七月 七日は 華の 一字の 祭 なり.

さるを もって かみと す.
申を 以て 神と す.

くがつ ここのかは きょうの いちじの まつり.
九月 九日は 経の 一字の まつり.

いぬを もって かみと す.
戌を 以て 神と す.

かくの ごとく こころえて なんみょうほうれんげきょうと となえさせ たまえ.
此くの 如く 心得て 南無妙法蓮華経と 唱へさせ 給へ.

げんぜあんのん ごしょうぜんしょ うたがい なかるべし.
現世安穏 後生善処 疑 なかるべし.

ほけきょうの ぎょうじゃをば いっさいの しょてん.
法華経の 行者をば 一切の 諸天.

ふたいに しゅご すべき きょうもん ふんみょう なり.
不退に 守護 すべき 経文 分明 なり.

きょうの だい5に いわく.
経の 第五に 云く.

「しょてん ちゅうやに つねに ほうの ための ゆえに しかも これを えいご す」うんぬん.
「諸天 昼夜に 常に 法の 為の 故に 而も 之を 衛護 す」云云.

また いわく「てんの もろもろの どうじ もって きゅうしを なし とうじょうも くわえず.
又 云く「天の 諸の 童子 以て 給使を 為し 刀杖も 加えず.

どくも がいする あたわず」うんぬん.
毒も 害する 能わず」云云.

しょてんとは ぼんてん たいしゃく にちがつ しだいてんのう とう なり.
諸天とは 梵天 帝釈 日月 四大天王 等 なり.

ほうとは ほけきょう なり.
法とは 法華経 なり.

どうじとは しちよう 28しゅく まりしてん とう なり.
童子とは 七曜 二十八宿 摩利支天 等 なり.

「りんぴょうとうじゃ かいじんれつざいぜん」.
「臨兵闘者 皆陳列在前」.

これまた 「とうじょうふか」の よんもじ なり.
是又 「刀杖不加」の 四字 なり.

これらは ずいぶんの そうでん なり.
此等は 随分の 相伝 なり.

よくよく あんじ たもうべし.
能く能く 案じ 給うべし.

だいろくに いわく.
第六に 云く.

「いっさいせけんの ちせいさんぎょうは みな じっそうと あいいはい せず」うんぬん.
「一切世間の 治生産業は 皆 実相と 相違背 せず」云云.

5せっくの ときも だだ なんみょうほうれんげきょうと となえて しっち じょうじゅ せしめ たまえ.
五節供の 時も 唯 南無妙法蓮華経と 唱へて 悉地 成就 せしめ 給へ.

いさいは またまた もうすべく そうろう.
委細は 又又 申す可く 候.

つぎに ほけきょうは まっぽうの はじめ 500ねんに ひろまり たもうべきと ちょうもん つかまつり.
次に 法華経は 末法の 始め 五百年に 弘まり 給ふべきと 聴聞 仕り.

みでしと なると おおせ そうろう こと.
御弟子と なると 仰せ 候 事.

しだんと なることは さんぜの ちぎり しゅ じゅく だつの さんやくべつに ひとを もとめんや.
師檀と なる事は 三世の 契り 種 熟 脱の 三益 別に 人を 求めんや.

「ざいざい もろもろの ぶつど つねに しと ともに うまれん.
「在在 諸の 仏土 常に 師と 倶に 生れん.

もし ほっしに しんごんせば すみやかに ぼだいの みちを えん.
若し 法師に 親近せば 速かに 菩提の 道を 得ん.

この しに ずいじゅんして まなばば ごうじゃの ほとけを み たてまつる ことを えん」との きんげん たがうべきや.
是の 師に 随順して 学ばば 恒沙の 仏を 見 奉る 事を 得ん」との 金言 違ふべきや.

だいばほんに いう.
提婆品に 云ふ.

「しょせいの ところ つねに この きょうを きく」の ひとは あに きへんに あらずや.
「所生の 処 常に 此の 経を 聞く」の 人は あに 貴辺に あらずや.

その ゆえは つきかみに 「みらいせちゅう にゃくうぜんなんし ぜんにょにん」と みえたり.
其の 故は 次上に「未来世中 若有善男子 善女人」と 見えたり.

ぜんなんしとは ほけきょうを たもつ ぞくの ことなり.
善男子とは 法華経を 持つ 俗の 事なり.

いよいよ しんじんを いたし たもうべし.
弥 信心を いたし 給うべし.

しんじんを いたし たもうべし.
信心を いたし 給うべし.

きょうきょう きんげん.
恐恐 謹言.

しょうがつ 11にち.
正月 十一日.

にちれん かおう.
日蓮 花押.

あきもとどの ごへんじ.
秋元殿 御返事.

あわのくに ほた より いだす.
安房の国 ほた より 出す.

 
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